説明回とは、創作作品における構成における俗称のひとつである。
概説
その名の通り、何かしらの説明に構成の大部分を割いている回(話)のこと。
作品において、キャラクターや世界観といった背景知識などを説明することを主眼としたパートのこと。「解説回」などとも言う。
間違いやすいが「説明会」ではない。
説明回の意義
創作作品、特に作品固有の世界設定を含むものは、そのルールに従ってストーリーが進行することになる。
しかしながらメタフィクション視点に立つと、その作品世界の住人にとっては常識であっても、それを垣間見ている傍観者(読者や視聴者)からすると、そのルールの内容や法則性を知る機会はストーリーの流れに任せるしかない。
新たなキャラクターが唐突にルールに則った新技を披露したところで、傍観者からすると全く新しい何かが出てきたに過ぎず、どんなルールで機能しているかを窺い知ることはできない。
こうした傍観者側に不利な要素を、作中の知識人が主人公をはじめとするメインキャラクターにいる知識に疎い人物を通して傍観者に説明することで、より作品に没入しやすくすると共に、様々な考察や気付きに至ることでより作品を楽しんでもらえる足掛かりとなる。
場合によってはナレーションによる導入、キャラクター自身の内面描写によって解説が始まるパターンも珍しくない。(※メイン画像はこのケース)
長編作品においては、ストーリーの節目節目に挟んで総集編と合併することで、傍観者に作品への理解度を高める機会ともなる。
特に世界情勢、作中に登場する能力の原理、組織における人物関係や序列・秩序などは、今後のストーリーにおける伏線にもなるため、ある程度の時間を割いて説明する機会を設けておく必要がある。
尺の都合
一方、説明回は引き延ばしに悪用されるケースも少なくなく、ストーリーが盛り上がってきたところで箸休め的に説明回を挟んだかと思うと、そこから延々と各勢力の現況と説明を繰り返し、中弛みを引き起こして読者・視聴率に不快感を与えてしまう要因となる。
また「今更この説明いる?」というような、既にストーリーの隅で概要を披露した要素に再び説明回を開始してストーリーの進行を迂回させるパターンも存在する。
こうなると、せっかく温まってきたストーリーの熱量がクールダウンして中弛みしてしまい、頻度によってはファン離れを誘発する危険性さえ出てくる。
逆に勢いと純度だけを重視して説明回を疎かにすると、作品が完結した際に内容を振り返った時、説明不足が祟ってファンの理解が追い付かず、作品全体の完成度を低下させる要因にもなる。
やりすぎは問題だが、だからといって無くすのも問題となる。
匙加減は難しいが、長編作品を楽しむうえで説明回の果たす役割は重要かつ繊細な位置にある。