概要
『スラムダンク』の登場人物。
2メートルの長身と優れた運動能力を持ち合わせた大学生であり、大学のバスケ部で将来を期待されていた。
当時は「白髪鬼(ホワイトヘアードデビル)」と呼ばれていた安西も谷沢が優秀な選手として大成するように厳しく指導していた(安西曰く「自分の監督生活の最後に谷沢を日本一の選手に育て上げるつもりだった」)が、当の谷沢には自由なプレーをさせずにチームプレイと基礎的な練習ばかりを徹底する安西に対して日頃から不満を募らせていた。
安西にしてみれば、谷沢の潜在的な能力に期待し「才能を開花させるため、今のうちにきっちり基礎を積み上げて身につけさせる」という計画で基礎を叩き込んでいたのだが、それを具体的に伝えずに接し方も常に高圧的であることから、谷沢から「ヤクザ」と内心怯えられていたため、信頼関係は築かれず擦れ違いによりギクシャクしていた(チームメイト達は安西の意図を理解していたが)。
谷沢自身は安西から命じられたダッシュ20本という基礎練習をしながらも内心で「大学入ってまでなんでこんな軍隊みたいなことをさせられなきゃならない」「このチームには俺には合わない。もっとフリーランスにプレイできるチームじゃなければ持ち味が潰れる」「俺のやりたいバスケはここにはない」と不満を溜め込んでしまっていた。
谷沢は決して怠惰な選手だったわけではなく、しっかりとした方法で自身の実力を向上させたいという真っ当な意欲を持ってはいたのだが、基礎を疎かにしてチームワークよりもスタンドプレーを優先する傾向が強かったため、安西の指導にはウンザリする一方であった。
それからほどなく自身の能力の向上のためにバスケの本場であるアメリカへと留学するが、その際に安西は勿論、チームメイトにさえも誰にも告げる事なく旅立ってしまった。
これには流石の安西も落ち込み、安西の想いを理解していたチームメイトも、谷沢の突然の渡米に眉を顰めていた。
留学後は現地の大学のバスケ部に所属したものの、自分以上の体格と運動能力を持つ選手に数多く出会った上、能力に任せて基礎を疎かにしていた結果、自分が思っていたほど成長することはできなかった。安西からしてみれば「環境次第で白くも黒くもなる素材」に過ぎなかった谷沢が本場のバスケに揉まれたところでどうしようもなかったのである。
更には留学先の監督とチームメイトもバスケに対してはいい加減で(実際に安西がアメリカで谷沢が所属していたチームの映像を見て「それぞれが勝手なプレーばかりでまるでまとまっていない。指導者はいったい何をやっとるんだ」と酷評する有様だった)、谷沢自身も英語力が不十分であったためにチーム内でのコミュニケーションがうまくいかず孤立状態であった。
それらの現実を突きつけられてようやく安西の指導の意味に気づいたものの彼やかつてのチームメイトを裏切る形で渡米した負い目から、おめおめと日本に戻る事ができず、窮状を安西達に伝える事さえできなかった。
そして、心が折れてしまったらしく安西が留学先の大学に連絡して尋ねてみればバスケ部からすらも姿を消してしまったということが判明する。
安西は谷沢の渡米から約1年後に送られてきたビデオレターを観た時から彼の窮状を大まかに察しており、どうにかもう一度自分のもとに戻ってきてもらおうと探していた。しかし、八方手を尽くして探しても消息は掴めず、谷沢の同期生達も卒業を迎えた5年後に安西は新聞に描かれたある記事を読み背筋が凍りついた。
「米で邦人留学生激突死 120キロの暴走、薬物反応も? 谷沢龍二さん(24)」
バスケ選手としての将来を期待されていた青年・谷沢はとうとうその才能を発揮することができぬまま、自殺も同然の形でこの世を去ってしまったのである。
自分の考えと才能を過信し監督である安西との信頼を築けなかった末に、能力向上の仕方を間違えたことで本人にとっても安西にとっても最悪の結末を迎えてしまった。
安西は谷沢の墓参りに訪れた際に、彼の母から出せずにいた彼の手紙を預かる。日付は彼の死より4年前となっていた(明言されていないが、前述のビデオレターが送られてきたのと同時期でありビデオレターと一緒に送ろうと書いた可能性もある)。
「安西先生
いつかの先生の言葉が近ごろ、よく頭にうかびます。
『お前の為にチームがあるんじゃねえ、チームの為にお前がいるんだ』
ここでは誰も僕にパスをくれません。
先生やみんなに迷惑をかけておきながら、今おめおめと帰るわけにはいきません。
いつか僕のプレイでみんなに借りを返せるようになるまで、頑張るつもりです。
バスケットの国アメリカの、その空気を吸うだけで僕は高く跳べるとおもっていたのかなあ…」
この一連の出来事を機に、名将・安西は白髪鬼の名を置き去りに大学バスケ界を去ってしまった。
しかし、谷沢に掛けた夢が中途半端のままになっていたために、バスケと縁の浅い学校に転勤してもなお、バスケ人生にピリオドを打てずにいた…。
そして転勤から数年後、安西は2人の新入生に希望を託すこととなり、2人の才能が道を誤らないよう、その練習の意図や明確な目標を与え、見守っている。
同時に安西は大学監督時代の高圧的な態度は鳴りをひそめ、温厚に的確な指導をバスケ部員達に行う「白髪仏(ホワイトベアードブッダ)」となるに至ったのである。
安西が流川のアメリカ留学に関して断固として反対したのもこの谷沢との苦い経験が理由とも言える。(ましてや大学生であった谷沢と違い流川の場合は「まだ高校入学から数ヶ月しか経っていない人間」だったために尚更だったのだろう)。
現実において
上記にある通り、谷沢は決して怠慢な選手ではなく、むしろ高い向上心を持ち、自分より格上の選手が何人もいる環境で成長したいと考え、セリフにもある通りすぐに通用するほど甘くもないだろう事も理解して渡米した。
要するにある程度の情報は持っていたと思われるため、ここまでは彼も覚悟していたことだった。
とはいえ、海外に行けば成長できると海外の空気を過大評価、もしくは勘違いしていたのは疑いの余地もないだろう。
現実世界においてもバスケットボール界に限らず、「海外に行けば無条件に成長できる」といった空気も未だに存在し、もちろんステップアップした選手もいるが、結局行き先がむしろプロデビューしたリーグやクラブよりもレベルが低かった結果ステップアップできずに寧ろパフォーマンスを落とした選手、帰ってきてもその後も本来のパフォーマンスを取り戻せない選手は多数存在する。バスケットボールならそれこそ谷沢のようにアメリカ、野球ではバスケと同じくアメリカ、サッカーならばヨーロッパならどこでもいい的な風潮は実際に存在する。バスケではないが、サッカー界では、サンフレッチェ広島で長年活躍した元クロアチア代表のミキッチ選手が、日本のサッカー環境を称賛しつつも若手の安易な海外移籍に苦言を呈したこともあった。
何よりも、若手選手は経験を積むことで成長していき、デビューから数年、経験を経てようやく選手として活躍できるようになることがほとんどであり、出場機会に恵まれない、もしくは機会があってもまだ十分な体に仕上がっていない選手が期待の若手として海外クラブに移籍するも、結局出番をえられずに帰国するなんてことはしょっちゅうである。住み慣れた国もしくは地域ならばスポーツだけに集中できるが、海外移籍であれば縁でもない限りはその環境にフィットすることも同時に求められるため、そこで低迷してしまうということも多いのだ。
余談
谷沢を演じた中尾みち雄は、同作に諸星大役でも出演している。
単行本ではこの話の後の1コマ漫画で墓参りに来た安西に対し谷沢の墓が(先生また太ったな…)と呟いている。