豊田商事
とよたしょうじ
高齢者を中心に全国で数万人が被害に遭い、被害総額は2000億円近くと見積もられている。当時、詐欺事件としては最大の被害額である。
1977年頃、永野一男が名古屋市で「豊田商事」の商号により金地金の商品取引を始める。
メイン画像は豊田商事の朝礼風景が元ネタ。⇒動画(外部リンク)
1985年、豊田商事の商法が社会問題化。国民生活センターなどにより豊田商事関連の110番が設置された。
同年6月18日、永野一男が殺害される事件が発生、テレビ中継中の出来事だったため社会に大きな影響を与えた。
しかし、この事により豊田商事の集めた資産の動きが不透明となり、被害者への弁済が絶望視された。
同年7月1日、豊田商事が破産宣告を受けた。破産管財人には後に「平成の鬼平」とまで呼ばれた中坊弁護士が選ばれ、同氏による豊田商事資産の債権回収と被害者への弁済が行われる。
中坊氏による被害者救済のための債権回収は苛烈を極め、豊田商事の金の流れを解明する活動は、時に反社会的組織や政界フィクサー(こうした者たちに決して少なくはない、むしろ多大な金が流れて闇に消えた、とされている)との衝突にまで発展し、債権回収チームに参加した弁護士たちには命の危険も常につきまとったという。
最終的には債権回収チームが洗い出して交渉の末に返納された資産、豊田商事元社員たちの個人資産、および彼らが国税として納めていた所得税などが差し押さえられ、これを被害者の救済へと充てられた。返納された額は被害額の10%。それでも同種の詐欺事件としては奇跡的な返納額であった。(当時の同種の事件では「金など返ってこない」のは当たり前であった)
主には子どもの世帯と別居している都市部の高齢者、あるいは近所と距離があるために人との交流の乏しい田舎のお年寄り世代をターゲットに選び活動していた。
ターゲットに対して飛び込み訪問を行うが、その際に些細な世間話(家族の話など)のみで済ませて警戒心を解くとともに、高齢者たちが困っている家事などの手伝いを申し出て、自らが身近な存在である事をアピールし誤認させた。ターゲットに対して「息子・娘・孫といってもなかなか帰ってこられないんですね 」などと離れた家族への不信を人間関係の「割り石」として打ち込むとともに「そんな子でもきちんと育てたのですから素晴らしいです」とターゲットをおだて持ち上げ「自分ならそんな(離れた土地へ親を置いて就職や進学をする)事はしない」「あなたが心配だから仕事じゃなくても見に来ます」「我が子と思って、どんな事でも言って下さい」と善意を装いターゲットの心に信頼の楔を打ち込んだ。
ターゲットとの精神的な距離が近づいた時期を見計らって契約の話を持ち出すが、その際には「子どもさんや、お孫さんのために資産形成をしましょう 」「離れた家族もあなたには見栄を張り強がって何も言えないだろうし、相談はせずに資産を増やして驚かせてあげましょう 」などと、いわば離れた家族への思慕と将来への不安を巧みに煽りまくった上で構築した信頼を悪用して契約へと至らしめた。
ターゲットは金の地金を購入する契約を結ぶが、現物は客に引き渡さずに会社が預かり、証券を代金と引き替えに渡す形式をとった。このため客は現物を購入するのが確認できず(ただし実際は「見せ金」と呼ばれる、金の存在を疑った客に対して安心させるために見せるだけの金のインゴットを申し訳程度に用意してはいた)実態は証券という名目の紙切れしか手元に残らない。
これが現物まがい商法(ペーパー商法/証券商法)と言われるものであった。