概要
物故者を偲ぶため、葬式の際などに作られる写真や肖像画である。
葬式以外では、物故者の親族が自宅に飾る。仏壇に入れているのも時々見掛けるが、仏壇は仏を祀るための場所であるため、あまり推奨される行為ではない。目に触れやすい居間や寝室に飾ろう。
遺影様式
イラストや漫画において遺影である事を明示する場合は「モノクロ写真を黒枠に填め、上部に白黒のリボンをあしらう」という様式で描かれる事が多いが、実際の葬儀でそのような古典的様式の遺影を見る事は少なくなった。
カラー写真の普及後もしばらく「先祖代々の遺影に並んで一人だけカラー写真なのは悪目立ちする」という慣習上の理由でモノクロ写真が使われたが、この慣習と伝統は核家族化の進行とともに廃れていった。
また、葬儀で(葬儀社が)陰鬱な雰囲気を醸し出すのは武家などの禁欲的伝統に連なるもので、実際好まれない。遺族や参列者が弔意や悲哀を表す黒い礼服を着用するのはさておき、故人の棺は献花などの華やかな彩りとともに送り出すのが昨今の流行のようである。
冥福を祈りたい人物・キャラをいたって普通に(遺影様式を使わずに)描いたイラストもある。皮肉な事に、そうした作風の方が実際の葬儀で望まれる遺影の形態に近い。
遺影は、葬儀という文脈とは独立して美しい肖像である事が望ましい。特に自宅や記念館などに飾る場合、一目で遺影だとわかる様式では問題がある。
遺影の目的は故人の生前の姿を想起する事なのだから、その姿は生き生きと描かれているのが望ましく、一目で「これは遺影で、この人はもう死んでいる」と直感させるような画では意義に即していない。
創作表現としての遺影
遺影は社会的によく知られた死者の顔の表現であり、死体を描写する事なく死者・死別を描く事を可能とする。
また、写真というありふれた親愛表現の延長線上にあるため、描写された写真が実は遺影だった、あるいは登場人物の死去によってただの写真が遺影へと変化するという伏線を張る事もできる。
なお、創作における遺影は、それが遺影であると直感的に理解させる必要性から、実際の葬儀ではありそうもない誇張やデフォルメが施されている事が多い。
※古典漫画の手法における典型的な葬式の表現。
※忘却の表現。写真枠内をあえて描き込まない事で、故人の人物像を曖昧にしている。
侮辱・倒錯としての遺影
遺影は死者の顔の象徴であり、死別を経験した人間の情緒を揺さぶるセンシティブな題材である。
つまり、死体をオモチャにするのと同じような性質の侮辱や倒錯行為を、遺影を使う事でより簡単・清潔に表現する事ができる。
また、リョナやR-18Gに定評のある絵師が全年齢向けの絵を描くと、そのキャラクターのR-18G絵が投稿される事を期待・危惧して「遺影」タグが付けられる事がある(タグ荒らしについての配慮を必要とする事例)。
警告しておくと、実在人物の肖像権やキャラクターの著作権を倒錯的な目的のために侵害した場合(特に権利者に風評被害や収益上の実害が生じた場合)、法的措置が執られる可能性がある。損害賠償を求める民事訴訟や、侮辱罪での刑事告訴などがある。
遺影でイエーイ
人物が「いえい」とピースをしただけのイラストに「遺影」タグが付く事がある。
ダジャレはさておき、楽しそうに笑っている写真が遺影となるのは実際あり得る事である。
というのも、遺影は生前撮られた写真から抜粋(加工)されるもので、自撮りや記念写真の多くは楽しい時に撮るものだからである。極論、まともに顔が写っている写真がことごとくえへ顔ダブルピースだった場合、そのえへ顔しか遺影に使えない。
予期されない急死に接しては、葬儀に馴染む写真を見つけられない可能性も高くなる。若者や子供の夭逝は特に当てはまる。
写真を用いず肖像画や人形を遺影に用いた事例もあるし、そうしてはならないとする根拠も特にない。だが慣習上、可能な限りなんとか写真を用意すべきだと考えられているようである。