元々の概要
仏教において死者が冥土の旅を終え、転生して「あの世で幸福になりますように」という意味合いの表現である。
前述のように仏教由来の言葉であるが日本では仏教が主流のためあまり意識せずに使われると思われる。
余談であるが仏教は他の宗教と比べると極悪非道(父殺し、母殺し、僧殺し、仏の身体を傷付ける、教団の和を乱す、の五逆罪と聖者を誹謗すること、正しい教えを破ること)の人物でない限りは罪が許されて成仏できるとされているため、ご冥福をお祈りします、というのは
『転生できるか分かりませんが転生できることをお祈りします』
『死後に迷って幸せになれないかもしれない』
という意味合いがあるため、宗派によっては失礼にあたる場合があるので注意が必要。
(六道輪廻や転生の概念は仏教のものだが、閻魔の裁きや幽霊といった概念は道教や民俗信仰が習合したもの)
そもそも仏教徒が死ぬことを『往生』、つまり『彼岸に“往”って新たに“生”まれる』というように、死は必ずしも悲しいことではなく新たな生の始まりであると考える。
(生前の功徳や悪行によって天、人、修羅、餓鬼、畜生、地獄の六つの転生先がある)
浄土宗や浄土真宗では、生前に念仏した人は漏れなく阿弥陀如来の『念仏をした人は必ず救う。それができないのなら悟りに至らない』という本願力によって即得往生を遂げる(つまりこの世で亡くなるとその時点で極楽浄土に仏弟子として生まれる)。
そのため、仏教の教義を厳密に考えると不適当である。
むしろ日本や中国の民族信仰と習合した土着信仰に近い宗教の言葉とも言える。
なので、故人に対してというよりも家族や知人を亡くした人と悲しみを分かち合う、という意味での『哀悼の意を表します』や『ご愁傷様です』、『お悔み申し上げます』といった言葉(を遺族などにかけること)が適当であろう。
人間に対して使う言葉なので、競走馬などの著名な動物に対しても不適当である。
神道の場合
神道では人が亡くなると祖先の霊(神)に合流して守り神になると考えるので、死を悔やんだり悲しんだりするのではなく、むしろ喜ばしいことと捉えることもある。
この場合、仏教用語である『冥福』や『供養』、悲しみの意を持つ『哀悼』は不適当。
御霊が鎮まり神となるようにとの願いを込めて『御霊やすらかならんことを』と言う。
キリスト教などの場合
よくテレビやラジオで司会者が海外の有名人の訃報を伝えた後使う場合が多いが、『冥福』『供養』は仏教用語なので不適当。
キリスト教における死とは、地上での罪を許され天に召されることをいい、祝福されるべきものと考えられていることから、キリスト教の葬儀では故人の死を悲しむお悔やみの言葉を使わない。
『安らかな眠りにつかれますよう、お祈りいたします』が無難。
英語圏で墓石に刻む「RIP(Rest In Peace.=安らかに眠れ)」も似たような意味合いとなる。
ネットでの概要
ネットスラングではメシウマと同じような意味合いとなる。
すなわち煽り文句の一つであり、他人の不幸に対して哀悼の意を表すると見せかけて嘲っているわけである。
実際に死亡した人に対して用いられる場合は本来の意味であることが多いが、生死が未確定の人物に対してこの表現を用いた場合は大抵が嘲りである。
また『冥福を祈る』という意味合いから死者に対する表現であり、氏ねと同じようなニュアンスも含まれている表現である。
ネットスラングでは『死』を失敗・損失の意味で用いることもあり(爆死など)、作品や事業に対してこの言葉を向けた際はオワコンと同義となる。
ピクシブでは誰かの死を悼むようなイラスト、キャプションや、現実に死去したことが確認された絵師の遺作に対してこのタグが付けられることがあり、基本的に原義で用いられている。
実際に検索するとクレヨンしんちゃんの作者である臼井儀人氏を悼むイラストが多い。
転じて、ご冥福をお祈りしたくない人(死刑囚など)を追悼する時に「ご冥禍をお祈りします」と言う場合もある。
関連イラスト
関連タグ
虹の橋:ペットが亡くなった時に使う言葉で、人間が渡るものではないが、稀に知らずに使う人もいる。