来歴
本名はにんべんが無い「義」で臼井義人(うすい よしひと)。血液型はB型。
1977年に埼玉県立春日部工業高等学校を卒業後、アルバイトをしながらデザイン関係の専門学校に通学するが中退。
1979年、広告関係の会社に入社。スーパーマーケットのPOP広告作成などで生計を立てながら、出版社に漫画の持込をしていた。
1987年、「だらくやストア物語」が双葉社・『週刊Weekly漫画アクション』新人賞佳作に入賞し漫画家デビュー。以降『漫画アクション』を中心に活動する。
1990年8月、『週刊Weekly漫画アクション』にて「クレヨンしんちゃん」の連載が開始。1992年にテレビ朝日系列にてアニメ化、1993年にアニメ映画化され社会現象を起こす大ブームとなる。臼井はいくつかの主題歌や挿入歌の歌詞も提供しているほか、劇場版数作品には本人役での出演もしている。また、増刊号として同作品を表紙および巻頭作品として扱った4コマ漫画雑誌『クレヨンしんちゃん特集号』も毎月出版された。
1995年から約1年間、竹書房の4コマ漫画雑誌『まんがライフ』でも「スーパー主婦月美さん」にて表紙および巻頭ページを担当した。
2000年11月、『クレヨンしんちゃん特集号』から『まんがタウン』と改題して4コマ漫画雑誌として独立創刊されたのを契機に、『週刊Weekly漫画アクション』から移籍し引き続き表紙および巻頭作品を担当。また同時期頃より、既婚女性をターゲットとした同社の雑誌『Jourすてきな主婦たち』でも「クレヨンしんちゃん」の登場人物、野原ひまわりを主役とした作品が掲載されていた(スーパーベイビー・プッチプチ ひまわり)。
2004年には「クレヨンしんちゃん」原作単行本のプロモーションのためスペイン・バルセロナ市を訪問。その際同国での同作品の普及に感激し「バルセロナでのエピソードを執筆したい」との意向から原作・テレビアニメともにそのストーリーが掲載・放送され、後にスペインでも放送された(2004年5月29日放送「オーラッ!スペイン旅行だゾ」)。
突然の死
2009年9月11日の早朝、群馬県下仁田町の妙義荒船佐久高原国定公園・荒船山へ単身で日帰り登山に行くと言って自宅を出発。元々臼井は登山が趣味であり、単独行が多かった。
電車を乗り継ぎ、下仁田駅からタクシーで登山口の内山峠へ向かい、そこで目撃されたのを最後に連絡が取れなくなる。翌朝になっても帰宅しなかったことから、家族によって埼玉県春日部警察署へ捜索願が出された。また、著名人の失踪ということもあり各種マスコミでも大きく報道された。
9月19日になり、荒船山の岩壁にておよそ高さ120mの崖下に転落している男性の遺体が発見される。遺体は地元警察に収容され、家族関係者の確認を経て(最終的には歯型での判断が決め手となり)臼井本人であると判断された。死因は全身打撲による肺挫滅(打撲が原因で、肺の組織が損傷したこと)。
事故の前例が少ない場所であったことから当初は事件性もあると疑われていたが、遺品のデジタルカメラに残っていた画像が崖を上から覗き込むような構図であったため、写真撮影の際に誤って転落したと判断された。
双葉社は9月21日に開いた記者会見にて「既に入稿されている『まんがタウン』2009年12月号掲載分まで続ける」ことを明らかにした。2009年11月5日に臼井の遺稿が発見され、この遺稿と生前のいくつかのストックを利用して『クレヨンしんちゃん』は2010年3月号まで連載が延長された。
また、『クレヨンしんちゃん』のテレビアニメを放映しているテレビ朝日も原作者死亡という事態を受け、「今後は家族など関係者と相談したい」というコメントを発した。
その後、放送は継続され、新作も多数制作されている。2009年10月16日の放送では、冒頭に「臼井儀人先生のご冥福をお祈りします」と追悼メッセージがナレーション込みで放送された。2010年公開の劇場版スタッフロールの最後にも、追悼メッセージが流された。
訃報を受け、「クレヨンしんちゃん」が掲載されている『まんがタウン』など、双葉社の雑誌に作品を執筆している樹るう、私屋カヲル、山田まりお、後藤羽矢子、笹野ちはるらをはじめ、その他多くの作家が相次いで哀悼の意を表す記事などを自身の日記やブログ、HPのトップページなどで公開している。
葬儀は9月23日に密葬にて行われた。臼井は生前メディアに素顔を明かしていない覆面作家であり、ニュース等でも顔写真が掲載されることはなかった。
『クレヨンしんちゃん』の連載終了後、過去作品の再掲などを経て、2010年8月より臼井の元で働いていたスタッフらにより『新クレヨンしんちゃん』として新作の連載がスタートした。作者名は「臼井義人&UYスタジオ」という表記となっている。
人物
既婚者で、二女の父親であった。
本人は「漫画家は感動を売るのが使命であって謎めいていた方がいいから」「僕は面白い人間じゃないし、読者ががっかりしちゃうから」という考えの元、基本的にメディアに出ることはなく、素顔も非公開であった。ただし、TBSラジオの『コサキンDEワァオ!』のヘビーリスナーであり、同ラジオにゲスト出演したことがある。
また、『クレヨンしんちゃん』のアニメ映画にも『暗黒タマタマ大追跡』・『電撃!ブタのヒヅメ大作戦』・『爆発!温泉わくわく大決戦』にて、数秒ではあるが声優としてゲスト出演している。その際の姿は郷剛太郎(アクション仮面の"生前"の姿)に似たハンサムな青年で、なかなか爽やかなボイスが印象的。あと「大都会」や「兄弟舟」を熱唱している。
ちなみにその際テロップで表示された趣味は便座観察で好きな女性のタイプはSPEED(全員)とか松タッカ子らしい。
テレビアニメでは、カラオケの音声として本人の歌声がこっそり流れたこともある。
バブル時代、銀行員やタクシー運転手に横柄な接客態度を取られたことがあり、その経験が初期の『クレヨンしんちゃん』に登場する従業員の態度に反映されている。
サザンオールスターズのファンであり、『クレヨンしんちゃん』では「希望の轍」「あなただけを」などの歌詞が引用された。このことは桑田佳祐も知っており、臼井に感謝の意を示したという。
臼井の訃報を受けて自身がDJを務める『やさしい夜遊び』で臼井への追悼を行い、第2期の『音楽寅さん』の最終回では「クレヨンしんちゃんも夢をアリガトウ!!」という歌詞を盛り込んだ「漫画ドリーム’09」を歌っている。
生前には「テレビドラマのロケ隊が来たゾ」の回で【ふぞろいのナスビたち(原作漫画ではふぞろいの蛇苺たち)】という【ふぞろいの林檎たち】のパロディ回が有り
いとしのエリーの替え歌が冒頭で描写されているほか、アニメのメイン声優の矢島晶子とならはしみきと藤原啓治を「矢島ミキ(アニメでは屋島美喜)」と「ならはしあきこ(アニメではカタカナ表記)」と「藤原けいじ」名義で作中の俳優として登場させる2重パロディであった、ちなみに藤原は他の話にもちょくちょく登場しており、ならはしみきは迷子の6歳児として登場したこと(登場話は単行本9巻に収録)もある。
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<お知らせ>2020年4月1日 お待たせ致しました。 完全版を投稿しました。 <お詫び>2020年3月31日 題名のみです。申し訳御座いません。 <物語の内容> ドラメンバーは、今度は『SHIN-MEN』の世界に迷い込む。 TON-MENが猛吹雪を起こして人々を困らせるが……。 ※2020年4月1日、完全版を投稿致しました。 ※2020年7月30日、後書を加筆しました。 ※最終修正、2020年7月30日5,609文字pixiv小説作品