那珂川の河口にあり、川を挟んで大洗町と隣接。阿字ヶ浦などの海水浴場を有し、日本有数の干し芋の産地であった。
江戸時代、那珂川河口の湊(港)は奥州からの海運の中継地となる交通の要所で、内陸へも涸沼川~巴川~北浦~利根川~江戸川というルートがあり非常に栄えた。
河口を見下ろす高台には水戸藩の別荘「夤賓閣」があり、徳川斉昭が砲弾製造のため作らせた反射炉も残っている。
1864年、尊王攘夷派の「天狗党」と幕府軍・水戸藩軍の激戦地となった。
1889年、町村制施行により那珂郡湊町が設置された。
1939年、同じ名前の自治体と区別するため町名を那珂湊町に変更。
1954年、市制が施行され那珂湊市となる。
1994年、勝田市と合併し消滅。