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概要編集

青函フェリーは2022年4月に共栄運輸と北日本海運が合併し、同時にそれまで両社が青森~函館にて共同運航してきたフェリー航路のブランドである「青函フェリー」を新会社社名としたものである。

キャッチコピーは「日本のあいだをむすぶ。SEIKAN」、ファンネルマークは親会社・栗林商船と同じ「丸七(まるしち)」と呼ばれるもの。


共栄運輸編集

共栄運輸、そして青函フェリー株式会社の親会社栗林商船は1919年に栗林商会から船舶部が分離して設立された。当初は室蘭から本州への航路を運航していたが、21年には釧路~本州航路、23年に海外航路である北樺太航路が開設された。翌年には命令航路として函館~小樽~ペトロパブロフスク・カムチャツキーの航路に就航した。戦前には北海道と東北の航路において優勢で国内七大船主の一角となった。39年には「地領丸」という船をチャーターし1年間千島航路を運営した。この船こそが後の宗谷であった。

共栄運輸はさかのぼること1923年小樽にて株式会社山祐商会として設立された。41年に一部の内航運送業務を移管する目的で共栄運輸株式会社に改組された。1968年には函館に拠点を移し70年に青函航路に進出した。但しこの航路には既に旅客便として青函連絡船東日本フェリーが存在したため自動車航送貨物航路としての運航だった。


北日本海運編集

北日本海運は青森海洋筏株式会社として1944年に誕生した。1960年には笹井海運作業株式会社と改称するものの2年後に日本通運に買収される。1985年に北日本海運と改称した。


有限会社青函フェリー編集

1972年に従来共栄運輸が保有していた自動車航送貨物定期航路事業としての免許を共栄運輸・笹井海運作業が新たに共同で取得し翌年には両社の窓口を新たに設立した有限会社青函フェリーに移管し貨物フェリーの共同運航を開始した。

一方この動きに対抗して東日本フェリーは貨物フェリー部門を新たに設立した道南自動車フェリーに移管し競争状態に突入した。

1988年に海峡線開通により青函連絡船は姿を消したが、青函トンネルは鉄道専用であることから宇高航路程の影響はなかった。

2000年の規制緩和によって青函フェリーは念願の旅客事業に参入し、それまで青函航路において旅客フェリー事業独占状態だった東日本フェリーグループと競争状態に突入した。

2009年には競争相手であった東日本フェリーは破綻に追い込まれ津軽海峡フェリーとして再編されることとなった。


経営統合、新生「株式会社青函フェリー」へ。編集

2016年に北海道新幹線が開業すると青函航路の状況は大きく変わり、第二の青函ブームが到来した。そうした中でそれまで貨物フェリー色の名残が強かった青函フェリーにおいても青函航路の新時代に合わせて大規模な組織改革を行うことになった。

その一環として2021年に栗林商船は日本通運から北日本海運の株を購入。同社を子会社とした。そして2022年に共栄運輸と北日本海運を合併させ、株式会社青函フェリーを発足させ新体制に移行したのだった。

併せて新造船を相次いで投入し旅客事業参入前に建造された旅客化改造フェリーを一掃した。

ホームページやロゴマークも一新し青函新時代を強く印象付けた。


外部リンク編集

青函フェリー

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