概要
東京都千代田区永田町二丁目3番1号に存在する、内閣総理大臣の執務拠点。正式には総理大臣官邸だが、政府の公式ホームページでも首相官邸の名が使われている。政治用語で官邸というと建物ではなく、ここを本拠地とする内閣官房をさす。ここでは建物としての官邸を解説する。
沿革
1890年に太政大臣官舎として初代官邸が完成。西洋風の2階建て、内閣制度の発足とともに総理大臣官邸(当時は総理大臣官舎)に転用される。1923年の関東大震災では難を逃れたものの、各官庁が重大な被害を受けたことにより官庁街再建計画、「中央諸官衙建築計画」が策定され、首相官邸も新築されることになり、真っ先に建設されることになった。この時に現在の位置に移転した。
その後、長らく歴代総理の執務拠点としてつかわれてきたが、老朽化、執務エリアが手狭、電子機器の使用が考えれた構造になっていない、危機管理専用の部屋がないなど多くの問題点を抱えるようになった。またヘリポートもなく、かつては総理がヘリを使う際は他国である米軍の施設を使うことになっていた。
そのため、1987年中曽根内閣において建て替えを決定。1999年から2002年に建設、小泉内閣にて移転完了し、旧官邸は曳家によって移動させられ、総理大臣公邸として使われている。
現官邸
地上5階、地下1階(地下に関してはあくまで公式発表)高さ35メートル。延床面積2万5,000 m²。設計は建設省大臣官房、官庁営繕部。
傾斜した大地の上立っており、5階建てながら正面玄関、エントランスホールは3階にある。テロ対策で約5mのコンクリートの壁で囲まれており、一般人が直接、姿を見るのは難しい。
1階
テレビでおなじみの記者会見場はじめとして記者クラブ用の部屋、内閣広報室、報道室など広報関係の施設が占める。このためこの階にある西口通用口は主にメディア関係者用の入り口として使われている。ほかに食堂もある。
2階
この階のすぐ外には南庭があり、ここで国賓などの賓客が訪れた際に儀じょう隊の栄誉礼が起こなわれる。さらに賓客などをもてなすパーティが行われる大ホール、事務次官等会議などの諸会議が行われる小ホール、5階までの吹き抜けになっている中庭、賓客が休んだり、打合せができるホワイエがある。ほかに36席と小規模ながら第2食堂がある。
3階
正面玄関ホール。組閣の際に閣僚集まって集合写真を撮る大階段がある。ここにある前庭は緊急時にヘリポートになる。かつては池で緊急時に水を抜き、ヘリポートとなる秘密基地のような機能を備えていたが、緊急時にそんなことやっていたら手間だし、管理コストが無駄ということで埋められ芝生の広場になった。
ほかに事務室等がある。
4階
ここから上は政権の中枢である内閣の執務エリアとなっている。
総理補佐官等の官邸スタッフの執務室、関係閣僚会議などが開かれテレビでもよく見る大会議室、各国の首脳をお出迎えする特別応接室がある。実は首相と各国首脳が座る椅子の壁は可動式で奥に首脳会談用の会議室がある。そして内閣の最高意思決定が行われる閣議が行われる閣議室、その際に閣僚が待機する閣僚応接室がある。余談だが日本における閣議のテーブルは円卓だが実はこれはかなり珍しい。大統領制の国は大統領を頂点にした長細い楕円形、長卓が一般的で、議院内閣制の国でも首相を頂点にした長細い楕円、長卓がほとんどである。
5階
内閣総理大臣、内閣官房長官、内閣官房副長官の執務室があり、まさに日本政治の中枢ともいえる場所。ほかに総理応接室、総理用の会議室がある。
屋上
ヘリポートがあり、太陽光発電用の太陽光パネルがそなえられている。また、中央部分の屋根は可動式になっており晴れの日は中庭に直接日光を取り込めるようになっている。
地階
危機管理センターが設置されているが安全保障上、一切が非公開のため詳細不明。有事の際、首相以下の閣僚、各省庁の人員はここで指揮を執る。新官邸でも特に力入れられた場所で各国の官邸のなかでも進んだ設備を持つとか。
旧官邸では長らく危機管理専用の部屋はなく有事の際は小食堂などが危機管理センターになっていた。一様、90年代に危機管理センターが官邸別館に作られたがプレハブの手狭な建物で使い勝手は悪く、常勤の要員すらいなかった。
旧官邸、現公邸
1929年竣工、設計は大蔵省営繕管財局工務部工務課第二製図係長、下元連(代表作は旧警視庁舎、財務省庁舎)。様式は帝国ホテル旧館などで有名なフランク・ロイド・ライトの様式を模したものを中心にアールデコ、表現主義などの建築様式を取り入れたものになっている。延床面積:7000平方メートル、地上3階地下1階。現在は総理とその家族が暮らす公邸になっている。閣議室や総理執務室は残されており、特に執務室は実質的に第二執務室として使われている。ほかの官庁と違い施設案内や部屋に看板もないうえ、入り組んだつくりになっており迷子になる人が多かった。
多くの動物の彫刻があり、特に旧官邸のガーゴイルであるミミズクは旧官邸の象徴になっている。また、玄関ホールのカエルの彫刻は議員に人気でいつかここに日常的に出入りできる人間、または主になれるようにと願掛けとして携帯待受けにする議員が多いとか。
公邸の沿革
内閣制施行以降、長らく日本には総理の公邸はなかった。旧官邸の完成時、ロイド風の公邸も連なる形で作られた。内装は和風で日本間と呼ばれたが、226事件の際に踏み荒らされ、とても居住に使えるものではなくなってしまい、改修の末、事務室になってしまう。
1937年に別館として和風の木造二階建ての日本家と呼ばれる仮公邸が立てられるが226、515事件などが建て続いた官邸内に住み着きたい総理はいなかった。そのためこの仮公邸は空き家のまま東京空襲で焼けてしまった。その後、公邸の整備は長らく放置されるが、60年安保で岸首相が官邸に閉じ込められたことで官邸に居住性の必要が高まった。
事務所として使われていた公邸を改修して再び公邸として使用することになるのだが、日当たりは悪く、ネズミやゴキブリがよく出ると評判はさんざんでその後も住む総理は少数派だった。また、現公邸も含め幽霊騒動が幾度も取りざたされており、それが歴代総理の私邸住まいにつながっているともいわれる。
創作における官邸
日本の政治中枢ということで幾度となく創作作品の中に登場する首相官邸だが、警備上の理由から非公開の部分が多く、外観以外は正確に再現されることは稀である。特に総理執務室などは旧官邸の執務室をモデルにしたままの作品も多い。しかも旧総理執務室についても大規模な改装がされており、窓際にあった机は壁際に移され、窓のカーテンは障子に変更されているという。照明も天井にあったものから棚と一体化したものになった。日本の創作作品の中で実像に近い官邸が登場するのは2016年公開のシン・ゴジラくらいである。
一方、アメリカのホワイトハウスは各政権の幾度にもわたる情報公開だけでなく、近年はGoogleMapのストリートビュー機能でかなり詳細に内部を見ることが出来る。このため、ハリウッド映画では正確なホワイトハウスのセットが作ることが出来ている。