概要
1973年4月5日生まれ。大阪府堺市生まれ、岡山県赤磐市(旧赤磐郡山陽町)出身。
中学生の頃にバイト代でギターを購入し、音楽を始める。友人たちとブルーハーツのコピーバンドを組んで、NHK主催の『BSヤングバトル』全国大会にも出場したが、大会出場から間も無く解散している。
1990年ごろに高校を中退。大阪でアルバイトをしながら、歌手になるべくボーカルスクールに通っていた。
1993年、歌謡歌手を目指してバンド活動を本格化。先に上京していた彼女を追って東京に拠点を移し、職を転々としながらインディーズでの音楽活動に励んだ。
2008年、ユニバーサルよりメジャーデビュー。デビュー曲『六本木〜GIROPPON〜』が歌謡・演歌チャートで1位となり、一躍時の人となる。
2007年ごろからムーディー勝山が、2008年にはジェロがそれぞれブレイクしており、新しい世代のムード歌謡や演歌に注目が集まっていた時期であった。
2009年に年内での引退を表明するが、2010年に復帰(本人はあくまでプロモーション的なものであったと明かしている)。その後は、地方営業を中心に歌手活動を継続しているほか、飲食店などのプロデュースを手掛けている。
パンチパーマにドロップ型のサングラス、白いスーツという、昭和のヤクザ風の服装が特徴。これは現役時代の山本浩二や衣笠祥雄の私服をイメージしているとのこと。
あくまで「ビジネスの一環」という側面が強いらしく、本人は「面倒だから」という理由でパンチパーマはあまり好んでいないと語っている。
エピソードなど
「鼠先輩」の由来は、中華料理店で働いていたときに、やることなすこと全部空回りしてしまうため「まるでハツカネズミのよう」という意味で上司から「ネズミ」、後輩から「ネズミ先輩」と呼ばれていたことから。
『六本木〜GIROPPON〜』の歌詞は、東京に出てきたときの彼女との約束が元となっているという。その彼女とは別れてしまったがCDデビューを機に復縁し、後に結婚している。妻との間に娘が一人おり、娘には「WEB関係の仕事をしている」と話している。
デビューから2016年ごろまでは、芸映プロダクションに所属していた。本人曰く「ショクナイ(内職をひっくり返したもの)」という、事務所を介さずにタレント個人が対応して仕事に赴くという、いわゆる裏営業が忙しくなったため業務提携という形に変え、のちに退社。以降フリーで活動している。
デビュー前に、AVの制作プロダクションに勤めていた時期がある。男優ではなく監督側で、さまざまなプロダクションの下請けで撮影を担当していたとのこと。本人によれば、この前歴が原因で紅白歌合戦への出場予定が取り消しになったという。
初期は松嶋クロス(松嶋重)のプロデュースを受けており、引退表明の際の記者会見も松嶋のプロダクションが取り仕切っていた。
現在は松嶋のプロデュースからは離れており、2022年にリリースした新曲も自身で作詞・作曲を手掛けている。