Götz_von_Berlichingen(SS-PD)
げっつふぉんべるりひんげん
1943年10月にフランスのポワチエで編成され、装甲擲弾兵師団としての装備が充分でない状態で12月にはバルカン半島に派遣され、ユーゴスラビアでパルチザンと交戦した。
1944年1月には南フランスのトゥアールに移動し編成に努めたが、主要部隊が自動車化されたのは3月になっての事であり、42両のⅣ号突撃砲からなる突撃砲大隊を擁していたが、装甲擲弾兵の二個連隊を構成する六個大隊のうち二個大隊は自転車装備であった。
6月6日に始まった連合軍のノルマンディー侵攻戦に参加、カランタン奪回の為に反撃するも、「アミー(アメリカ軍の蔑称)がイワン(ソ連軍の蔑称)より強い筈がない」と第6降下猟兵連隊長フリードリヒ・フォン・デア・ハイテ中佐に豪語した師団長ヴェルナー・オステンドルフSS少将の目論見は外れ、空軍と豊富な物量に支援されたアメリカ軍を前にカランタンは奪回はならず、オステンドルフ少将も15日に重傷を負い、以後もアメリカ軍を主に相手として奮戦するも、8月にファレーズ包囲網を友軍と共に突破してノルマンディー地方から離れるまでには大損害を被っていた。
その後はメッツ方面でアメリカ軍と交戦し、その損害を補った後にはアルデンヌ攻勢を支援するための1945年1月1日より始まったノルトヴィント作戦に参加。
3月22日には師団長フリッツ・クリゲンベルクSS大佐が戦死し、重装備を放棄してライン河を越えてドイツ本国に撤退し、その後もアメリカ軍を相手に交戦し、5月7日にアーヘンゼー付近でアメリカ軍に降伏した。
一部のドイツ国防軍とアメリカ軍が共闘するという事態が起こり、「WW2で最も奇妙な戦い」と称されたイッター城の戦いで、そのドイツ国防軍と連合軍相手に戦った師団。
師団章は、同師団と同じ名前の15世紀騎士・英雄が片腕を失った後、鉄の義手をつけていたことにちなんで鉄の義手が刻まれている。