概要
武装親衛隊の第14師団。1943年、ウクライナ西部のガリツィアからの義勇兵で編成された。
ブロディをめぐる戦闘で大損害を受けた後、再編成されてウクラアナ国民軍第1師団と改名、連合軍に降伏するまで、スロバキア、ユーゴスラビア、オーストリアで作戦任務に就いていた。
師団章は、ルーシー王国時代のライオン。
18歳〜35歳までの身長165cm以上の者が選ばれた。
OUN-Bのメンバーは加わることが禁じられていたが、前述の通り師団には多くの数が加わっていた。
軍服はドイツ国防軍の標準的な物が支給され、右肩にガリツィア地章である獅子と3つの王冠の描かれたものが着用されたが、ウクライナの国章である「三叉戟」の着用は禁じられた。
構成
SS師団「ガリーツェン」はドイツ人と[]ウクライナ人]]の高級将校が師団幹部を務めることになり、600名のドイツ将校が師団編成のためにベルリンより派遣された。
その内訳は、半分がプロイセン東部から派遣されたドイツ人将校、残り半分がオランダ人将校だった。
また、過去にオーストリア=ハンガリー帝国軍に所属していた300名(ウクライナ人民共和国軍所属だった100名、ポーランド軍予備役だった100名を含む)のウクライナ将校も所属した。
師団長にはフリッツ・フライターク(Fritz Freitag)親衛隊上級大佐、参謀にヴォルフ・ハイケ(Wolf Dietrich Heike)親衛隊少佐がそれぞれ着任。
師団に所属した連隊の連隊長はドイツ人が勤め、SS第31擲弾兵連隊にはルドルフ・パニア親衛隊大佐、2個警察連隊にはビンツ親衛隊少佐とフランツ・レヒターラー親衛隊中佐がそれぞれ任命された。