概要
「逮捕された密猟者の射撃の腕を活かす」ことを名目に、罪状の軽い密猟者を集め、当初は中隊規模で設立された。
部隊規模の拡大によって大隊、連隊、旅団を経て師団へ昇格した。
そして、部隊規模の拡大と戦闘での消耗によって「罪状の軽い密猟者」という人材が枯渇すると徴募の基準が緩められ、罪状の軽い一般刑事犯であれば誰でも可となった他、軍法会議で有罪になったドイツ国防軍や武装親衛隊の将兵が補充として送り込まれるようになり、大戦末期には強制収容所の政治犯も送り込まれ、懲罰部隊として犯罪者集団の様相を呈するに至った。
東部戦線において、主にパルチザンを相手に戦っていたが、行く先々で当師団の構成員が問題を起こしまくった上、戦闘においても残虐さだけが取り柄であり、対立していた国防軍の将兵はおろか、親衛隊の中でも評判は最悪であり、親衛隊高官すら「親衛隊の面汚し」と非難するほどで、法務本部に至っては師団長を含む関係者を軍法会議にかけようとした。
大戦中は常にパルチザン狩りを担当しており、他国の正規軍とあまり交戦しなかったため、大した武勲もなく、戦争犯罪で有名になった師団である。
なお、この師団の名前を「ディルレヴァンガー」とすることがあるが、師団に昇格する前の部隊名に隊長のディルレヴァンガーの個人名が冠されていたことによる俗称であり、正式な師団名ではない。
師団章は、交差させた柄付手榴弾。