概要
反共フランス人や収容所内のフランス人等によって構築された師団。
ベルリンの戦いにおいて圧倒的な劣勢下にありながら勇敢な戦闘を続け、最終生存者は30人を下回った。
「反共」と銘打った部隊ではあったものの、集まった隊員の中には文字通り「反共」の念に燃える者もいれば、ドイツでの強制労働を逃れたい者や、入隊によって支給される高給を目当てとした者もいるなど、隊員すべてが反共思想の持ち主である部隊ではなかった。
また、この部隊はドイツが対ソ開戦に踏み切ったのを機に、パリに割拠する対独協力諸団体の領袖たちが自発的に”大同団結”して創設したものであって、ドイツからのさし金があったわけでもなければ、ヴィシー政権もまったく関与していなかった。
師団章は、ドイツを示す帝国鷲とフランスを示す三つの百合。
余談
当師団には少なくとも、以下の国籍を持つ者が所属していたとされる。
(引用:"Waffen-SS Français volume 2"(lulu, 2011))
その他
フランス海外植民地のマダガスカルやアルジェリアからも義勇兵が参加していたが、フランス領アルジェリア出身者のうち、少なくとも1名はセファルディム(地中海沿岸諸国在住のユダヤ人。スペイン系ユダヤ人ともいわれる)であった。
1945年4月中旬のある日、再編制中の「シャルルマーニュ」師団(連隊)本部に2名のインド人義勇兵が到着し、彼らは本来武装親衛隊インド人義勇部隊(Indische-Freiwilligen-Legion der Waffen-SS)に配属されるはずであったが、手違いで「シャルルマーニュ」に送られた。