SCP-1045-JP
おめがねさまにはかなわない
ID: 1045
担当クラス:E組
普段の先生
田中先生は授業の時以外は8104棟の職員室にいます。先生や添削された文章から半径25mの範囲(以下、範囲)には、どんな文章も近づけないで下さい。田中先生添削事件のようなことを防ぐために、添削された文章は早めに再提出して下さい。
説明
先生は度数1.7のフレームが黒い眼鏡を掛けた女性です。日本語及び初歩的な英語の文章が範囲内に入ると、瞬時に赤ペンで校閲と添削が、青ペンで称賛のコメントがされます。また赤文字・青文字が書かれている文章(添削された文章)の範囲内の文章も先生が見つけて添削します。添削内容は現実に合っているかを重視したもので、当然ながらたとえフィクションや比喩表現だとしても現実的なあるいは現実に即した内容に訂正します。しかし自身については現実より少々盛った内容に訂正することがあります。添削された文章が8時間以内に添削通りに修正されなかった場合、おしおきとして強制的に修正され範囲の半径の拡張や次回の修正期限の短縮がされます。その修正を削除することはいけないことであり、添削された文章の物理的破壊によってのみ強制的な修正や範囲拡張、期限短縮を防ぐことが可能ですがしないで下さい。
追記1: 田中先生はとあるアパートの一室にいました。当時室内の全ての文書と隣接する部屋のいくつかの文書に強制的な修正がされており、通報が入り発見され無事就任しました。
追記2: ある日の早朝に8104棟にて大規模な添削が行われ(田中先生添削事件)、1000枚以上の添削された文章が作成されました。この事件から丁度16時間前にこの報告書が添削されていましたが、学級委員は添削された文章を折り畳んで放置していました。このことが範囲の拡大に繋がり、結果として添削事件を許すことになり、先生もE組に異動しました。また、学級委員は辞退しました。
最初の注意にもある通り前述の文章の大半は田中先生もといSCP-1045-JPが「全体的に私を物扱いしているように感じた、人を物扱いするのはダメ」と添削をした文章である(自身については現実より少々盛った内容に訂正するなどおちゃめなところもあるが)。
SCPとしては度数1.7のフレームが黒い眼鏡で、異常性はSCP-1045-JPや添削された文章から半径25mの範囲に文章を近づけると赤ペンで添削をされ、青ペンで称賛のコメント(古臭い顔文字付き)が書かれるというところ。
SCPのことを全く知らない状態で添削をしているため本人が分かっておらず添削されている箇所が所々にあるが例を挙げるならIDはアイテム番号、田中先生はSCP-1045-JP、担当クラスはオブジェクトクラスと同一の意味である。
一見そこまで厄介じゃなさそうだが、SCP財団は文章で報告書を記すため、その文章が書かれた報告書が関係者ではない者によって勝手に別の文章に変えさせられる危険性がある、ということだ。実際前述の田中先生添削事件という事件は1000枚以上の紙に記された文章が被害にあうという大惨事を引き起こしてしまったようだ(Euclidに格上げされてしまう原因となった)。
赤ペン先生…添削をする先生繋がり。
SCP-132-JP…文字を改変(削除)できるオブジェクト繋がり。
以下の文章は田中先生添削事件の際、添削から45分後に削除された、発見時にそばにある封筒の中に入っていたメモに書いてあった(廃棄済み、SCP-1045-JPの親族に返却した写真から文章を摘出した)文章である。
元█年█組の皆へ─黒塗りは無意味ですし、個人情報ですので削除して頂けると助かります。
いざこういう時になると、何を書けばいいか思い付きません。─早く削除して下さい。けれども、皆にいくつか、どうしても言っておきたいことがあったのでペンを取りました。─不必要なので削除しなさい。
一つ目。─何故こんなものを記載したんですか。皆の文章はとても素晴らしかったです。─削除を。去年の4月から1年間見てきたけれど、毎回毎回皆がとっても上手な作文を書いてきて驚きました。─削除です。あんなにいっぱい添削したのも、あんなにいっぱい駄目出ししたのも、意地悪ではなくて「皆の文章力に答えなくちゃ」って思ったからです。─全て削除してください。だから、出来れば、私のことを恨まないで欲しいな。─やめてください。
二つ目。─おねがいです。私は皆のことを全く恨んでいません。─のせないでください。確かに、お手洗いで上から水を掛けられたり、手袋の中に画鋲を入れられたりしたけれど、それでも毎日が本当に楽しかった。─いたいんですドッジボール大会、合唱コンクール、運動会、卒業式。─わすれたいんですどれもが、私の大切な思い出です。─なんでだからどうか、私がいなくなったことを自分たちのせいにしないで。─さくじょして私は、私自身のせいでいなくなったんです。─おねがいだから
三つ目。─わたしがわるかったから私のお別れ会の時は、皆でクラスの歌を歌って欲しいです。─あやまるから合唱コンクールで散々歌ったから「もう歌いたくない」って人もいると思います。ごめんなさいでも、皆とお別れする前に、最後に一回だけ、皆の歌が聞きたいんです。おねが
読んでくれて、ありがとう。ゆるしてじゃあ、伝えたいことも書き終わやだったので、そろそろ行ってきます。やだ皆がこれからも、良い文章をやだ書けることを願やだっています。
削いじめないで除済より
彼女はいわゆる躍起になり過ぎて生徒に嫌われてしまう教師だった。
添削のしかたを見るとよく分かるが
「細かい表現にはやたらと詳細かつ細かく修正が入る」ためせっかく書いた原稿が真っ赤になり読めたものではなくなる。
一方で「褒める時は「いい文章です」「いい表現です」など非常に大雑把で取ってつけた様にしか見えず、幼児を褒めている様にしか見えないうえに、稀である」
また、「当人の常識を判断基準にしている」からか、「正しい表現すら現実や自身の常識に当て嵌め否定してくる」という「"筆者の気持ちを考えなさい"が二重の意味(何を書きたかったのか?とここまで否定されたらどう思うか?)で致命的に出来ていない」一面が非常に強い
そのため客観的に見ると「頭が硬く他者の文を粗探しして訂正し、絶対にそのままの文では認めない上から目線の嫌な教師」でしかないし、生徒達からすれば「せっかく書いた原稿を台無しにされる上、知りもしないことにすら口出ししてくる」のは相当嫌われていただろう
そもそも「添削できる」ということは「提出されている」と言うことであり、こう言った文を真面目に提出している生徒が教師イジメに発展するほどの鬱憤を溜めていた=クラス全体から敵意を向けられていたにもかかわらずその剣呑とした雰囲気全く気が付かなかったというのは「生徒本人にはまるで目を向けていない(向けていたつもりだったとしても全く見えていない)」ことを意味する。
いっぱいいっぱいだったならば、生徒の文を添削する方に熱意を向けるのではなく、教室の雰囲気を多少なり把握するべきであった。
彼女の末路と、その原因を肯定するわけではないが、正直そうなっても仕方ない積み重ねがあったと推察できる。(過剰添削も死ぬほど追い詰めるのもどちらもやりすぎだが)
「そろそろ行ってきます」は恐らく荒れた生徒たちが苦になってしまったのが原因で自殺してしまった、ということなのだろう(報告書を作成した本人もこう解釈しながら作成をしたようである)。その女性教師の意思が眼鏡に宿り、SCPとなったといういきさつ…なのかはあなたの想像次第といったところか。
……ちなみに、彼女の訃報を知った生徒達の反応は「ざまあみろクソ教師!!!」との黒板への落書きであった
死ぬまで追い詰めてしまったという罪悪感すらなく喜ばれるとは、嫌われるを通り越して最早憎まれていたのだろう…