概要
1930年代、ソ連軍はいくつかの多砲塔戦車を開発・配備したものの、多砲塔戦車自体が失敗作だった。
T-35の後継として開発されていたT-100多砲塔重戦車も、同時期に開発されていたKV-1重戦車の方が試験でも実戦(冬戦争)でも扱いやすく、性能がいい事が判明し、2輌の試作車のみで開発中止となってしまった。
ところが同時期、T-100をベースにした工兵戦車の開発が進められていた。
機甲局総監D.G.パブロフはこの車両の目的を対トーチカに変更。魚雷艇用エンジンと海軍から提供された130mm艦砲を搭載し完成したのが、このSU-100Yだった。
冬戦争に投入される予定ではあったが、完成翌日に休戦となったため参加はできなかった。その後、独ソ戦勃発に伴い、モスクワ防衛のために戦車部隊に配備された所までは確認されているが、実際に戦闘活動を行ったかは記録が残されておらず不明。
いずれにせよ第二次世界大戦を生き残ったらしいSU-100Yは、現在もクビンカ戦車博物館において展示されている。
性能
搭載した130mm砲は、大戦末期に超重戦車マウスやヤークトティーガーに搭載されたドイツの12.8cm砲に近い性能を有しており、1940年当時の戦車を相手にするには完全な過剰性能であった。装甲はベースとなったT-100と同等の60mmで、当時としてはそこそこ強力だったが、攻撃力に全く見合わないものだった。このような極端な性能からロマン砲の一種として一部で根強い人気がある。
因みに名前がよく似ているが、SU-100とは関係性はない。
外部リンク
関連タグ
T-100:ベースになった多砲塔重戦車。