概要
神仏習合の思想に基づき、日本に古来より存在した日本神話などの神々と、仏教の尊格(如来、菩薩、明王、天部)とを一体として捉える概念。あるいは「神道と仏教」のこと。
歴史的な詳細は神仏習合記事を参照してほしいが、奈良時代ごろから、神道の神々が仏教の菩薩号や如来号を求めているという信仰が生まれ、また仏教側も守護神として神道の神々を求めるようになった。仏が化身となって日本各地に神としての姿を現すという論理、すなわち「本地垂迹説」である(義江彰夫『神仏習合』)。
義江によれば、この動きは鎌倉時代に全盛期を迎えた。『沙石集』が伝える伊勢神宮社官の主張によれば、アマテラスは大日如来でもあり、伊勢神宮の内宮と外宮は胎蔵界と金剛界の大日如来をそれぞれ表わしているという。熱田神宮の『神祇官私記』によると、イザナギは熊野権現であり、イザナミは白山権現であるという。『長秋記』が引いた熊野社先達の説明によれば、その熊野の神々は阿弥陀如来を始めとした諸仏に対応付けられている。また、寺社記事にもあるとおり、延暦寺の守護神はオオヤマツミにして釈迦如来、興福寺の守護神はタケミカヅチにして不空絹索観音、そして八幡宮が祀るのは神としての応神天皇すなわち八幡大菩薩となっていたのである。こうして中世における日本神話の諸テキストは、古代の古事記、日本書紀に仏教の観点を加えた新たな解釈によって読み替えられていった。これを中世日本記という(義江彰夫『神仏習合』)。
神仏という概念は室町時代、戦国時代と日本的な神道および仏教信仰のあり方として継続していったが、吉田神道、国学の誕生によって動揺し、明治時代の神仏分離令によって終わりを告げることになった(その詳細は神仏習合記事参照)。
その他
pixivでは『聖☆おにいさん』のイエスとブッダを描いた作品にこのタグがつけられているケースもある。