米ソ対立だけではない概要
アメリカとソ連の対立は第2次世界大戦以降、冷戦となって発生し最初は中国とソ連は協力していた。
1950年に中ソ友好同盟相互援助条約が結ばれて協力していた時期があったが、毛沢東がソ連との戦略の違いにより1956年に対立が生まれた。
中国共産党の毛沢東はスターリン路線を継承する立場からソ連共産党であったフルシチョフの転身が修正路線がきっかけであった。
米中との接近。
ソ連はアメリカだけでなく中国とも対立していたが、中国は米ソ対立をしている最中に1970年代にアメリカに接近した。
1976年に毛沢東は死去し、中ソ関係は改善が見られようとしていたが、1979年にソ連がベトナムを支援し、中国がアメリカを支援したのも対立の要因になった。
ベトナムに関してはソ連側の勝利に終わったが、この頃からソ連の財政は悪化していった。
この中ソ対立が1980年のモスクワオリンピックがボイコットされる要因になった。
中ソ対立の鎮静化
そして1980年代に鄧小平が改革開国路線が取られるようになり、次第に中ソ対立が沈静化が始まった。
そして1985年にゴルバチョフとペストロイカが始まることにより、両国関係は次第に改善し、1989年5月、ゴルバチョフの訪中し、30年ぶりに中ソは国交正常化させた。
丁度、中国では天安門事件が起きている最中だった事やソ連は崩壊寸前である事が出ていた。
その後の中露
ロシア
1991年にソ連はロシアに変わり、エリツィン政権時にアメリカや西側による搾取の影響で1998年にデフォルトが起きてしまい、後に国民に反米感情を募らせる結果となってしまった。
そして2001年にウラジーミル・プーチンがソ連時代までのユダヤ資本を排除して2003年には[[イラク戦争]を反対し、後にG8から追放される要因になった。
そして石油や天然ガス等の影響で成長し、中国と共にBRICSの構成国の1つになった。
後にソ連時代に仲の悪かったイランとは両国の合弁銀行創設などで協力するほど、関係は改善し、両国が西側に制裁を食らった後は、米ドルとユーロ排除路線が鮮明化してきた。
そしてダーイッシュ(ロシア語でИГ)を始めとするシリア問題では両国は北朝鮮やイランと共にアサドを支持する側になっている。
中国
90年代に上海閥の江沢民と言うアメリカの傀儡政権が誕生し、反日もこの頃から活発化していた。
但し、軍部は上海閥の江沢民を非常に嫌っており、北京閥の胡錦濤や李克強はこの頃から軍部を掌握していた。
同時にウラジーミル・プーチンが排除していたユダヤ資本を取り入れるようになり、この頃からアメリカとの関係改善を勧めていた。
21世紀に入ると中国は急激な経済成長をしたものの、同時にそれはアメリカ式資本主義を取り入れたことにより格差拡大が進んでいた。
GDPでは2008年ごろに日本を抜き、2015年ごろにはアメリカを抜いて1位になった。
そしてAIIBや人民元国際化で世界に存在感を示した中国であったが、それはかつてソ連を支配していたユダヤ資本によるものであった為、中国はそれと引き換えに構造改革を行わなければならない状況になってしまう。
尚、習近平になってからも軍部に関しては北京閥の李克強等が握っており、軍部も北京閥なら士気が高いと言われている。
ロシアと連携し、ロシアと同様にイランと連携しているが、ロシアほどイランとは仲が良いとは言えない。