競走馬時代
調教師はキングカメハメハやダイワスカーレットも管理した松田国英。
クラシックシーズンとなる2001年から外国産馬も日本ダービーに出られることが決まったため、馬主の金子はアメリカから来たすごい馬という願いを込めて、マシュー・ペリー提督率いる黒船に肖って「クロフネ」と名付けた。
2000年(2歳)
2000年10月24日に松永幹夫を背に京都競馬場の新馬戦でデビューするも2着。2週間後の同じく新馬戦で初勝利。3戦目のエリカ賞も1.3倍の人気に応えて快勝する。
4戦目は重賞初挑戦となるGⅢラジオたんぱ杯3歳ステークス(現GⅠホープフルステークス)。
単勝1.4倍の1番人気に推されたが、アグネスタキオンとジャングルポケットに先着を許しての3着だった。
2001年(3歳)
NHKマイルカップでは武豊を背に逃げるグラスエイコウオーを差し切ってGⅠ初勝利を飾った。
日本ダービーでは皐月賞を制し三冠間違いなしと言われたアグネスタキオンが骨折によりそのまま引退したため、クロフネ対皐月賞組という構図となったが、結果はジャングルポケットが優勝、クロフネは5着に終わった。
秋シーズンは外国産馬も出られるようになった天皇賞(秋)を目標に調整。
神戸新聞杯(GⅡ)では蛯名正義とコンビを組んだが折り合いがつかず3着に敗れた。
天皇賞に出られる外国産馬は2頭で、その内の1枠はメイショウドトウが当確となり残る1枠がクロフネとなっていたが、直前になってアグネスデジタルが突然参戦を表明したためクロフネは弾かれてしまう形となった。
結局、天皇賞前日の武蔵野ステークス(GⅢ)に出ることとなったが、これがなんと2着イーグルカフェ(2000年のNHKマイルカップ優勝馬)に9馬身も差をつける圧勝。
続いて第2回ジャパンカップダート(現チャンピオンズカップ)では前年優勝馬のウイングアローに7馬身差をつけての圧勝でGⅠ2勝目。芝とダート両方でGⅠタイトルを獲った。
今後は翌年のフェブラリーステークスを目標に調整していたが、12月24日に屈腱炎を発症したという報道が流れ、そのまま引退が発表された。
JRA賞では、最優秀ダートホースのタイトルを受賞した。