藤原千方とは、日本の伝承に登場する伝説上の人物である。
概要
藤原千方は『太平記』巻第16「143 日本朝敵事」の中で、紀伊名草の土蜘蛛・東国の平将門とともに朝敵としてその名が見える豪族。もちろん架空の人物である。
配下には金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼の四鬼を従えている。謡曲『現在千方』では風鬼・水鬼・火鬼・隠形鬼の四鬼。
来歴
天智天皇の時代、伊賀・伊勢で朝廷に叛逆を企て、四鬼を従えて傍若無人の振る舞いをしていたという。鬼の神変を前に凡夫の智力では敵わず、伊賀・伊勢は王化に従わなかった。天皇の宣旨を受けた紀朝雄はかの国に下ると和歌を一首読み、鬼に向けて送りつけた。
「草も木も わが大君の 国なれば
いずくか鬼の 棲なるべし」
この歌を見た四鬼は「悪逆無道な者に従い、善政有徳の君に背いていた、天罰は免れない」と四方に失せ去った。和歌の言霊に勢いを失った千方は朝雄に討たれた。
上記は『太平記』によるものだが、藤原千方の説話は祝言の語り物として中世には流布していたようで、能『田村』『土車』などに取り入れられ、「草も木も~」の和歌は多少改められてはいるが『高砂』『難波』『田村』『土車』『大江山』『羅生門』『土蜘蛛』などに引用されている。
特に『田村』での引用は、鈴鹿山の鬼神を前にした坂上田村麻呂が「千方という逆臣に仕えし鬼のように滅ぼしてやろう」などと挑発するためか、江戸時代中期の義太夫節浄瑠璃『田村麿鈴鹿合戦』では桓武天皇の時代に復活した千方が周翁居士と名乗り、紆余曲折あって田村麻呂が討伐するという物語が作られた。
陰陽師「藤原千方」
使役した鬼の名前は金鬼・風鬼・水鬼や作品によって火鬼・土鬼と、陰陽五行説に基づいていることがわかる(木には風という意味もある)。
『太平記』での千方は飛鳥時代の人物として設定されているが、京の民衆に陰陽師などある種の妖魔を使役する人間が認識されていたことや、千方の説話の成立が鎌倉時代から室町時代頃であることを考えれば、千方は陰陽師像を持って物語が創出されたのだろう。
隠形鬼のみ、中世以降に信仰を集めた摩利支天の隠形法がモチーフだったりする。『太平記』「日本朝敵事」で取り上げれ、藤原千方の説話と密接に関係する『沙石集』の中世神話、つまり中世日本記や第六天魔王譚といった中世神話群の影響も受けているためであろう。
もしかすると千方は修験道や密教の行者といった性質もイメージされているのかもしれない。
──もっとも藤原千方の説話の地元では伊賀忍者の祖として推されているのだが。