概要
生前はテアトル・エコーに所属していた。
ルパン三世の声優として夙に有名。
あまりにもルパン三世の印象が強かった為か、嘗てTV番組「クイズダービー」に出演した時、共にゲスト出演した加藤みどりが自身の持ち役を多数披露するのを見て「いいなアタリ役が多い人は。俺なんかルパンくらいしかネタが無いんだよ」と言って会場を沸かせたことがある。
ただし実際はアニメの仕事が比較的少なかっただけで、映画の吹き替えなどでは寧ろルパン三世以外にも多数の当たり役を持っている。これは山田自身がアニメに対してあまり好意的ではなかったためであった。
役者としての心構え
芸に対し真摯で厳しい態度を保持していた人物であり、また「『声優業』とは『役者』の仕事の1つである」と言う持論から「声優」と言う職業をひと括りにされることを特に嫌った。
新人に対する指導の際は「声優になりたいと思うのならやめなさい。でも、役者になりたいのなら、やってみてもいいかもね」「声優を目指すな、役者を目指せ。演技は全身でするものだ。それでこそ『声優業』も活きてくるんだ」が口癖だったそうである。
これはテアトル・エコー出身の俳優を始め、多くのレジェンド声優が肝に銘じていることでもある。一方でアニメに対して求めるものも多く、絵が完成していないと怒る場面もあった。
このため業界では「とにかく厳しい人」として通っており、ルパンで長年共演していた井上真樹夫も「納谷悟朗さんも怖かったけどあそこまでピリピリしていなかった」と語るほどだった。その一方で、没後十数年経った後も、山田康雄を尊敬する同業者は多い。神谷明は納谷悟朗らと並んで穴が空くほど二人の芝居を間近で見て研究したと語り、晩年少しだけ交流があり、後年一部吹き替えを引き継ぐこととなった多田野曜平も憧れていたという。
同僚との付き合い
恐れられていたエピソードがある一方、仲の良い同業者だった納谷悟朗とは収録後に毎晩のように飲むなどしていたといい、他にも酔って「次元大介と話させてやる」と言って、真夜中に小林清志の自宅に電話をかけるなど奔放なエピソードもある。
後にルパンを引き継ぐことになる栗田貫一とはモノマネを通じてプライベートでも付き合いがあり、終いには機嫌の悪い時に「俺はもう疲れたからクリカンにでもやらせとけ」という言葉を残したりもした。これが次のルパン役を決める一つの決め手にもなっているが、本人は「自分が死んだらルパンは終わらせて欲しい」と言い残していたとも言われる。
ルパンとしての最後
1993年になると体調を崩すようになり、同年に放送されたTVSP「ルパン三世 ルパン暗殺指令」の後半の収録からは、車椅子に座った状態で収録を行った。この時すでに、山田は自分の寿命がもう長くはないことを察していたのか、ルパン三世の音楽担当だった大野雄二に「もう一つアルバムを出したい。早くしないと俺死んじゃうよ?」といつもの調子で語っていたという。
そして1995年2月17日、脳出血によって倒れ意識不明となり、その1ヶ月後の3月19日にそのまま死去。享年62。
しかし当時は、この翌日に東京都で発生した「地下鉄サリン事件」の方が大きく取りざたされていた影響から、山田の死は余り大きくは報道されず、数日も経ってから彼の死を知って愕然としたファンも少なくなかったらしい。
なお、山田が亡くなる約3週間前の2月25日には同じく俳優・声優の城達也も亡くなっている。
出演作
アニメーション作品
うらなり@坊っちゃん
ジョー@山ねずみロッキーチャック
ジム@ハックルベリィの物語
ドン松五郎@我輩は犬である ドン松五郎の生活
人形劇
吹き替え
クリント・イーストウッド*3 | ジャン=ポール・ベルモンド*4 | グレアム・チャップマン(モンティパイソン)*5 |
カーミット(マペッツ) | ||
歌
みんなのうた「まるで世界」
*1 劇場作品『くたばれ!ノストラダムス』の予告編までの担当。後任は栗田貫一(同作の本編以降、全てのメディア作品で担当)。
*2 没後にリリースされたゲーム作品『タツノコファイト』では、野沢那智が代演。
*3 没後、山田が吹き替えていた洋画のテレビ版の欠落シーンの追加収録における代役は多田野曜平。新作の吹き替えは小林清志、瑳川哲朗、野沢那智が複数の作品を担当。2019年に日本で公開された『運び屋』では多田野が初めて新作主演映画の吹き替えを担当。
*4 没後は、主に羽佐間道夫が担当。
*5 後任は安原義人(ゲーム作品『モンティ・パイソンのHoly Grail』、映画作品『人生狂騒曲』)⇒多田野曜平(映画作品『モンティ・パイソン ある嘘つきの物語 グレアム・チャップマン自伝』)。