概要
菜食主義者のこと。ベジタリアンという言葉は「健全な、新鮮な、元気のある」という意味のラテン語'vegetus' に由来しており、野菜(ベジタブル)を主食にするという意味ではない。
菜食主義者にも考え方が色々あり、卵や乳製品も含め全ての動物性食品を避けるヴィーガンはその一派でしかない。卵や乳製品は食べるもの、魚や鳥の肉も食べ獣肉だけを避けるものもいれば、パートタイムのベジタリアン(セミベジタリアン)もいる。これらのうちいくつかをベジタリアンとして認めない考え方もある。
理由も様々で、命を奪わないために肉食を避ける、宗教上の戒律、菜食は健康に良いと考えているからという場合もある。食肉の効率の悪さや環境への悪影響を指摘し畜産物の食用を避ける人もいるが、この場合は魚は普通に食べかつ肉食を完全には排除しないセミベジタリアンである事が多い。
同じ命である植物は食べても良い理由としては、「苦痛を感じる」という性質の有無が挙げられることが多い。このため「魚には痛覚が無い」という理由で魚を食べたり、「(ある時期までの胎児は)苦痛を感じる神経が成立していない」等の理由で、人工妊娠中絶は容認する、という立場のベジタリアンも存在する(後述の「新無神論」支持者など)。
また、特に命を奪わないと言う解釈は多岐にわたり、生命を持たないと言う理屈から無精卵や牛乳は食している人、複数の実がなり何度も実が生じるキュウリやリンゴは許されるが、刈り取ってしまう必要がある玉ねぎや根菜などは禁じている菜食主義も存在する(実際は卵や乳のために殺害される動物は多く、農作物の生育に際しても害虫獣の駆除は必ずと言っていいほど行われるのだが)。「フルータリアン」がその一例。
健康上の理由からベジタリアニズムを否定する者も少なくないが、栄養学的には問題ないとされている(参照)。
が、ご飯やパン等の炭水化物の食べすぎで太ってしまっている人も多い。
宗教・思想とのつながり
仏教においては、僧侶には基本的に菜食主義が課せられる。が、例外事項として「三種の浄肉」という区分が存在する。「その僧がほふられた現場を見てない」「その僧のためにほふったと聞いていない」「その僧のためにほふったと知らない」という条件を満した場合なら、在家信徒から布施されたその肉は食べてよい、というもの。
とはいえ、仏僧のみが暮らす僧坊、寺院生活においては植物由来の材料からなる食べ物のみが調理され、食されることになる。精進料理はこの背景から生まれたベジタリアン料理である。
また、仏教思想の延長線上にある菜食主義として「禁葷食」があり
こちらは葷(くん)と呼ばれる臭いの強い野菜類を食べることも避けられている。
肉や生臭い野菜を食べたり酒を飲んだりした者が修行の場である寺へ立ち入ることは相応しくないという考え方である。
イスラム教においては豚肉や肉食獣などの肉を食べる事が禁じられているが、戒律上食べられる羊や牛においても、特別な作法に基づいてほふられていなければならない等のルールが存在する。
そのルールや解釈は国や地域によっても違いがある。そのため動物、肉由来の成分を一切用いないベジタリアン料理は、多くのイスラム教徒から破戒のおそれなく食べられるものとして好まれている。
キリスト教においては教派によっては動物や魚の肉を食べない「大斎」の時期が存在する。東方諸教会、正教会、東方典礼カトリック教会、また一部のローマ・カトリックの修道会に所属する修道士は一年中肉類をとらない生活を送る。
ヒンドゥー教では神聖な動物とされる牛を食べないが、牛だけでなく全ての動物の肉を食べないという規則を持つグループも存在する。
無神論の一派である「新無神論」においては動物愛護、アニマルライツの観点から肉を食べない。宗教に敵対的な新無神論においては、肉食は迷信扱いされる宗教と同類の無知ゆえの悪、「ホモ・サピエンス中心主義」「種差別」に基づく悍ましい誤謬と見なされる。
関連タグ
ナディア・ラ・アルウォール…彼女でベジタリアンの存在を知った人も多いのではなかろうか。卵や牛乳は食べられる。
ガネーシャ:草食動物である象の頭を持ち、彼自身も肉は食べないとされる。
反菜食主義者
堀江貴文・ひろゆき:菜食主義者をきらいだと述べ否定している例。二人とも友人である。
外部リンク
今さら聞けない、ビーガン(ヴィーガン)とベジタリアンの違い! :Vegewel