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和田アキ子の編集履歴

2021-07-25 21:48:47 バージョン

和田アキ子

わだあきこ

日本の歌手、タレント、女優、司会者、実業家。

概要

1950年4月10日生まれ(ただし、帰化時に発行された官報では1949年生まれという表記がある)、大阪府出身の歌手タレント。長年にわたり冠番組『アッコにおまかせ!』の司会を務めていることでも知られる。

株式会社ホリプロ所属。


韓国系日本人である。出生名は「金 福子(キム・ポクジャ)」、通名は「金海 福子」であった。

1971年に日本帰化。既に帰化していた叔父の養子となり、「和田 現子(わだ あきこ)」に名前を改める。

現在の本名は夫の姓の「飯塚 現子」。


愛称は「アッコ(さん)」「アコ(さん、ちゃん)」「ゴッドねぇちゃん※」など。

「芸能界のご意見番」、「和田アキ男」と半ば冗談で呼ばれることも。


174cmの長身と低音のハスキーボイス、パワフルな高い歌唱力で人気歌手となる。

ヒット曲に紅白歌合戦でも何度も歌っている「あの鐘を鳴らすのはあなた」、「笑って許して」、「古い日記(彼女のモノマネでよく使われる「ハッ!」のシャウトの元となった曲)」などがある。

歌手と並行してタレント活動も行なっており、『アッコにおまかせ』のほか多数のワイドショーやバラエティ番組に出演している。また、1970年代から女優としてもいくつかのドラマや映画に出演しており、実は『翔べ! 必殺うらごろし』で必殺シリーズのメインを張ったり、映画『スーパーマリオブラザーズ』でクッパの声優を担当したりとなかなか濃い遍歴の持ち主である。


かつては紅白の常連であったが、後年は「ヒット曲もないのに毎年出続けるのはなんで?」と毎年お茶の間が選出を不思議がるのも恒例行事となっていた。2016年についに落選することになったが、30年連続の出場は女性歌手として最多記録となっている。

紅白落選についてはしばらくNHKに対する恨み言を繰り返していたが、近年はノーコメントを貫いている。


人物

豪快で明るい性格。後輩芸能人の面倒をよく見ており、よく食事に誘ったり飲み会の後自宅に泊まらせたりしている。しかし、度々彼らから大暴れエピソードを(脚色込みではあるが)暴露されるという流れがバラエティの定番ネタともなっている。

身長は174cmと同世代の日本女性の中では群を抜いて大柄であり、それをいじられるのも定番の流れ。

一方で涙もろく繊細なところもあり、彼女をよく知る芸能人からは照れ屋で寂しがりな人柄について言及されることも多い。


礼儀作法に厳しい父や芸能界の母と慕う山岡久乃からの影響で、規律や(生放送が主であった時代から芸能活動を行なっていることもあり)時間に厳しい。ただし、可愛がっている身内には甘いような態度を取ることもあり、自身の番組でも彼らの不祥事については言葉を濁すことが多い。芸能人の犯罪については厳しい見解を見せており、たとえ身内であってもその後の連絡を断つと発言したことがある。


※「ゴッド~」の仇名は1972年当時日本でも大ヒットした映画ゴッドファーザー」からとったもじりで、Godfather=名付け親としてのドン・コルレオーネ(マーロン・ブランド)の存在に由来する。つまり「芸能界ドン」という意味あいで、女神から来ているわけではない。


来歴

在日韓国人の家庭に育つ。

父は柔道師範で、「金海道場」という道場を運営していた。礼儀作法に厳しい人物で、当時小学生の和田を殴りつけるなど虐待に近い躾をされていたという。

この父への反発から少女時代は不良となり(後にこのあたりのエピソードをバラエティでよくネタにしている)、女番長として子分を引き連れ、誰彼構わず大暴れしたことからミナミのアコとあだ名されるほどであった。道頓堀に喧嘩相手を投げ落としたという逸話も残っている。


高校中退後(実際には本人が希望したわけではなく、父が一方的に退学届を出したと語っている)、15歳頃からクラブで歌いはじめる。

当時弱小プロダクションであったホリプロにスカウトされ、1968年に歌手デビュー。なお、大阪時代〜東京進出初期は「グランプリーズ」というバンドで活動していた(メンバーには、後にオックスに加入する夏優介がいた)が、ソロでデビューすることとなった。

芸名は「現子」が「あきこ」とすぐに読めないことから、当時の社長によって「アキ」をカタカナで書く形で名付けられた。


デビューに際し、父が「在日韓国人だとわかるような本名では芸能活動に支障があるかもしれないから」という理由で帰化を勧めたことから、先に帰化していた叔父の養子となり、帰化。本名を「和田現子」に改める(なお、実際に帰化が認可されたのはデビュー後の1971年になってから。上記の不良時代に「アコ」と呼ばれていることや、芸名にまつわるエピソードから、帰化以前から「和田現子」を名乗っていたと推測される)


1976年に、当時マネージャーだった男性と結婚したものの、多忙な生活でのすれ違いから9ヶ月でスピード離婚。なお、離婚にあたっては「憎しみ合わないようにしたい」と社長に申し出てすぐ離婚会見が行われるなど円満であったことを振り返っている。

1981年にテレビカメラマンだった現夫と再婚した。

しかし再婚直後に子宮癌が発覚し、子宮を全摘出することとなった。子供好きで、現夫との子供を強く望んでいた彼女にとっては大変なショックであり、当時は号泣したというが、のちにTV番組でこの決断を後押しした夫に感謝の念を述べている。




余談

  • 日本で一番最初にR&Bを唄った歌手でもある。また、後に有吉弘行から彼女につけられたあだ名も「R&B(リズム&暴力)」である。
  • 酒豪と言うイメージがあるが、関係者曰く「それほど強くなく、少量で泥酔する」との事。
  • コワモテのイメージとは裏腹に、喉の病気や子宮がんなど、重篤な病気による数度の入院歴がある。このため、以前はかなりのヘビースモーカーかつチェーンスモーカーであったが、カンニング竹山が説得して禁煙させた。
  • 進撃の巨人ネタ(詳細はこちら)を紅白出場時に認めてしまった。
  • 2007年にはねるのトびらにゲストで出演した時に言葉を繋げるゲームでノリノリで下ネタを発してしまいゲーム画面の中という設定を超えてメンバーから厳重注意を受けてしまった。それから10年後の2017年辺りから多数のMAD動画が出回ってしまった。
  • 2020年の格付けチェックでは絶対ありえへん選択肢を真っ先に選んで映す価値なしになった(しかもそれまでは一流だった)。

関連タグ

歌手 女優

MGS3 クッパ ザ・シンプソンズ

アッコにおまかせ!


外部サイト

公式 - http://www.akofc.com/

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