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編集者:なっく
編集内容:切っ掛け。

概要

本名、杉本 高文。1955年7月1日和歌山県生まれ、奈良県育ち。血液型B型。

落語家を志して2代目笑福亭松之助の門下となったが、師匠命令でタレントに転向。

ビートたけし曰く「落語家の癖に落語ができない奴」「テレビをやっていて、かなわないな、と思うヤツの代表」。

同期は島田紳助オール阪神巨人など。

笑福亭鶴瓶は従兄弟弟子の関係(松之助は鶴瓶の師匠・6代目松鶴の弟弟子)。ちなみに鶴瓶は師匠に殆ど稽古をつけてもらえなかったのに対し、さんまは松之助からある程度真面目に落語を学んでいたという。

桂三枝(現・6代目文枝)には頭が上がらない。一方の三枝からは「笑いに関してはおっかない」と評されている。

師・松之助と共演する際は控室でも必ず立ち、2019年に逝去するまで師弟関係を厳格に維持した。

芸名の「明石家」は師匠の本名の姓から取られ、「さんま」は高文の父がサンマ缶詰工場を経営していたことが由来。

吉本興業の芸人の1人とされているが現在は直接の所属ではなく、個人事務所明石家興業(オフィス事務所)を立ち上げており、吉本興業とはブローカー契約の間柄である(これは島田紳助から節税対策で勧められたもの)。

後に2019年7月吉本興業との契約を解除された宮迫博之(雨上がり決死隊)を「引き続き『人を笑わせたい』という意欲があること」を条件に、この個人事務所で預ることとなった。

1995年放送の自身の番組で発生した故・野村沙知代とのトラブルが原因でテレビ朝日の番組には極力出ない姿勢を貫いていることでも有名。

ただし親交の深い人物が司会を務める番組には出ることもあり、タモリが司会の「ミュージックステーション」には1999年4月16日放送回で歌手として所ジョージ工藤静香と一緒に出演したり、司会の雨上がり決死隊の熱烈オファーで2009年以降「アメトーーク」の特番に出演を続けたりしている。

また、テレビ東京の番組にもかつて番組を上層部判断で打ち切りにされた(当時のテレビ東京全番組でトップの視聴率を誇っていたにもかかわらず)トラブルを切っ掛けとしてそこから30年以上の間出演しようとしていなかったが、出川哲朗からのオファーを受けて数時間の移動を伴うロケ先へ出演した。

この事から分かるように可愛がっている後輩の番組等に呼ばれたら普通にゲストで行く面もかなりあり、そのゲスト先がローカルTV局だろうがお構いなしに「遊びに来た」体でノーギャラで出演しようとする程。

身体的特徴

いわゆる「出っ歯」の代表的人物として有名。

睡眠時間が極度に少なく、本人曰く「今までの人生で10時間以上寝たことは一度もない」。また、寝顔を人に見られるのを極端に嫌い、身内ですら寝顔を見たことがないらしい。

若い頃の矢部浩之(ナインティナイン)は、そんなさんまの寝顔を見たことのある数少ない著名人の一人。

愛称

基本的に「さんちゃん」(所ジョージ高見沢俊彦など同年代の親しい人物が使用)。紳助は愛称だけでなく「杉本」と本名で呼ぶことがある。

BIG3であるタモリビートたけしからは「さんま」「さんちゃん」「さんまちゃん」「明石家さんま師匠」「出っ歯」「お前」「あんた」と呼ばれる。たけしは「明石家」と呼ぶこともある。また、タモリは第三者とさんまのことについて話す際「あの男」と表現する。

また、村上ショージやジミー大西など付き合いの古い後輩芸人からは親しみを込めて「若」と呼ばれている。

嗜好

きな粉が好きで、桔梗信玄餅が好物。また、緑茶にはこだわりがある様子。

長年、女優の長澤まさみのファンを自称しているが、長澤本人からは「長いウソだな」と思われている。

好きな色は

愛読書は週刊少年ジャンプ

お笑いBIG3

さんま・たけしタモリの3人を指す。

フジテレビの正月番組や、テレビ夢列島(現在の「FNS27時間テレビ」)でゴルフ対決などを繰り広げた。

さんまは年上のタモリとたけしを基本的にはさん付けで呼ぶが、突っ込む時にはたけしを「ビート」「たけ」「たけし」「おっさん」と呼び捨て、タモリを「タモリ」「タモさん」「森田」と呼び捨てにしたり、芸能界では後輩であることから「あんた」「お前」と呼ぶ場合もある。

因みにタモリが「お前」「出っ歯」と呼ぶと、必ず「チョット言わしてもらいますけど、アンタ年は上やけど、芸能生活はアンタより上やで!」とツッコむのがお約束となっている。

基本的に他の共演者をイジることが多いが、BIG3の2人と共演するとほとんどイジられる。

その他の人間関係

神奈川県生まれのクワタケイスケと遭遇。共存関係にある。生まれは離れているが同じ学年(昭和30年度。桑田は31年生まれだが2月生まれ)のため、2人でいろいろとやらかした時期もあった。

そして、この時期さんまは妖怪アミダばばあなる新たな姿を手にした。このことはクワタにとってトラウマになったらしい。

だが、さんまは恨みを忘れず、サザンオールスターズ25周年記念ライブで、村上ショージといっしょにモニターからサザンメンバー、そして会場を埋め尽くしたファンに襲いかかった。

いとしのエリー」は「勝手にシンドバッド」より先に出来ていた、という根も葉もないデタラメを世間に流布されたことは桑田にとって本当に迷惑だったようだが

女優の大竹しのぶと一時期結婚していたことがあり、当時彼女との間にもうけた娘がタレントのIMALUであるが、離婚後も度々お互いTVトークのネタにするなど関係は悪くない模様。

また、大竹には死別した前夫との連れ子(IMALUの異父兄)がおり、彼を気遣って「お父さん」ではなく「ボス」と呼ばせていた逸話が知られている。

実は生い立ちが案外暗いらしく、幼いころに実の母親を病気で、弟を火事で亡くしているらしい。

座右の銘の「生きてるだけで丸儲け」は後述する123便の件もあって出来たものだという。

芸人が泣くことを良しとせず、後輩が泣いているのを見ると叱ることがある。これはタモリとたけしも同様である。

逸話

1985年8月12日、「ひょうきん族」の収録後「MBSヤングタウン」の生放送のため東京から大阪へ移動しなければならなかったが、ひょうきん族の収録が予定より早く終わって早めに移動できるようになったため予約していた便をキャンセル、1本早い飛行機で移動することになった。その本来乗るはずだった便こそが、日本航空123便である。

大阪に着いたさんまは事故を知り絶句、ヤングタウンではさんまらしくない低いテンションでの放送となり、リクエスト曲も彼が希望した曲が流れた。

それ以来、さんまは大阪への移動は新幹線を使うようになり、また新幹線で行ける場所への移動について飛行機を使うことはなくなったという。

編集者:なっく
編集内容:切っ掛け。