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オーグーリ!オーグーリ!

おーぐーりおーぐーり

競走馬オグリキャップ“奇跡のラストラン”(1990年「第35回有馬記念」)で起こった「オグリコール」。ウマ娘のオグリキャップへの使用多数。

概要

中山競馬場に響き渡った、伝説の競走馬オグリキャップを讃えるコール。

PIXIVのタグとしては、主に久彦@MBFesア03氏のウマ娘のイラストや漫画に於いてオグリキャップが登場する度に何処からともなくか「オーグーリ!オーグーリ!」という掛け声が出て来る事から、このタグが付けられる様になった。

元になった出来事

NHK総合(実況:藤井康生、解説:鈴木康弘)

フジテレビ(音声のみ。映像はウマ娘)(実況:大川和彦、解説:大川慶次郎)

見出しの概要にある通り、競走馬オグリキャップが1990年の第35回有馬記念に於いてラストランを優勝で飾り、それに伴って感極まった大勢の観客から巻き起こった「オグリコール」が元となっている。

地方(笠松競馬)から12戦10勝というズバ抜けた戦績を引っ提げ、1988年1月28日に鳴り物入りで中央競馬に移籍したオグリキャップ。其処でも幾多もの強敵(特にタマモクロススーパークリークイナリワンヤエノムテキバンブーメモリーオサイチジョージメジロアルダン)と熾烈な争いを繰り広げて多くの勝利を挙げて来たものの、1990年に入ると宝塚記念で2着に終わった後に両前肢に骨膜炎を、右後脚に飛節軟腫(関節の柔軟な部分に出る炎症)を発症したのを皮切りに脚部に不安が出始め、天皇賞・秋でも脚部の故障によって初の掲示板を外す6着に、続くジャパンカップでも4番人気で支持されるも、調教では一緒に走行した条件馬を相手に遅れをとる程の体調面の不安が出てしまい、結果、生涯最低の11着に終わってしまう。

特にジャパンカップでの惨敗という結果を受けて、ファンからは「もうオグリキャップを引退させるべき」「これ以上オグリキャップの負ける姿は見たくない」という声が上がり始め、マスコミも「輝きを失ったヒーロー」「墜ちた偶像」と評する様になった。

しかし陣営はこの年の有馬記念をラストランとしてオグリキャップを出走させるという意向を表明。これにより日本中央競馬会やオグリキャップの馬主である近藤俊典に「(オグリキャップの)出走を取り消さねばお前の自宅や競馬場(中山競馬場)に爆弾を仕掛けるぞ!!」というファンからの脅迫状が届く事態にまで発展した。

オッズとしては4番人気に支持されていたものの(因みに1番人気は前述のジャパンカップで日本馬で最先着したホワイトストーン《4着》)、引退レース当日は「既に終わった馬」と認識されていたが為に人気は集まらなかった。

しかしレースが始まると、これまでの不振を一気に振り払うかの様にオグリキャップは好走を展開。当初中団5,6番手に位置を付けると最終第4コーナーに差し掛かった所で外目から先頭集団に迫り、最終直線では逃げるオサイチジョージを交わして先頭に立ち、ホワイトストーン(3着)やメジロライアン(2着)の猛追を振り切ってそのままゴール。

生涯最後のレースをこれ以上無い有終の美で締め括った。

この結果により中山競馬場に詰めかけた多くの来場者は馬券を外したものの、オグリキャップの、この奇跡とも云える復活劇を目の当たりした瞬間、177,779人(1日の中山競馬場の最高入場者数記録)もの観客から「オーグーリ!!オーグーリ!!」と盛大な「オグリコール」が巻き起こり、中山競馬場は計り知れない興奮と感動の坩堝と化したのである。

藤井康生(NHKアナウンサー):「あの、ダービーの『ナカノコール』を上回る様な『オグリコール』です! あの時は騎手(※)に、そして今日は馬に、オグリキャップへの大歓声!!

日本競馬史上初めて"馬名によるコール”が巻き起こった瞬間だった。レースの勝者を称えるコールは※『ナカノコール』のように騎手の名前で行われることが殆どであり、馬名でのコールは非常に例が少ない(トウカイテイオーディープインパクトが勝利した有馬記念など)。

(※)1990年の第57回日本ダービー優勝馬アイネスフウジンの主戦騎手である中野栄治(現・調教師)の事。この時も東京競馬場に詰めかけた196,517人(1日の競馬場入場者数としては2021年11月現在でも世界最高記録である)もの観客から盛大にコールが送られた。これが日本競馬史上初めて、レースの勝者を讃えるコールが巻き起こった瞬間である。因みにこの時のレースも2着にメジロライアン、3着にホワイトストーンが入線している。

因みに

  • この有馬記念を勝利した事により、オグリキャップは史上3頭目の「有馬記念を2勝した競走馬」(第33,35回)となった。しかし、2021年11月現在、有馬記念を2勝している競走馬はオグリキャップ以外だと5頭(スピードシンボリ《第14,15回》、シンボリルドルフ《第29,30回》、グラスワンダー《第43,44回》、シンボリクリスエス《第47,48回》、オルフェーヴル《第56,58回》)いるが、連覇では無い形で有馬記念の2勝を成し遂げたのはオグリキャップとオルフェーヴルのみである(※)。

(※)オグリキャップは第34回の有馬記念ではイナリワンに優勝を攫われ、オルフェーヴルの場合は前走の第32回ジャパンカップ出走後の疲労が取れておらず、第57回の有馬記念ではファン投票1位であったものの休養に専念すべく回避している。因みにこの時の有馬記念を制したのは異母弟のゴールドシップである。

  • 1990年にオグリキャップは秋のGⅠを「天皇賞・秋=6着、ジャパンカップ=11着、有馬記念=1着」という結果で終えているが、実はその前年の1989年にもオグリキャップのライバルの1頭であるイナリワンもまた全く同じ結果で秋のGⅠを終えている。それに加えて天皇賞・秋の前のレースはイナリワンが毎日王冠であるのに対してオグリキャップは宝塚記念であるが、奇しくも御互いに結果は2着である(但し、イナリワンの場合はこれまた奇しくもそのオグリキャップとの壮絶な競り合いに屈してのものであるが、この時の毎日王冠の2頭によるデッドヒートは、ベストマッチレースの一つとして後世に語り継がれている)。
  • 時は流れ、2011年にJRAがこの年の有馬記念の宣伝としてオグリキャップのラストランとなった第35回有馬記念を用いたのだが、その際に生まれたキャッチフレーズが「神はいる。そう思った」である。

実はもう一頭

1994年4月10日阪神競馬場で行われたGⅠ「桜花賞」。

残り200mで1頭の葦毛牝馬の鬼脚が炸裂し、実況の馬場鉄志アナウンサーは興奮気味に叫んだ。

一番外からオグリオグリオグリ!

大外から先頭集団を纏めて差し切った桜の女王は、オグリキャップの半妹・オグリローマン。そして鞍上には、3年4ヶ月前と同じように小栗孝一氏の勝負服をまとった武豊騎手がいた。

兄が走れなかったクラシックを制覇した妹のウイニングラン。スタンドに集まっていた8万人の観衆からは、あの日と同じように盛大な「オーグーリ!オーグーリ!」の大合唱が巻き起こった。