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モンゴルの編集履歴

2022-05-23 01:27:47 バージョン

モンゴル

もんごる

東アジア北部に位置する共和国

概要

モンゴル国(モンゴルこく、モンゴル語:Монгол Улс、読み:モンゴル・ウルス、英語:Mongolian State)は、東アジア北部に位置する共和国。中国ロシアと国境を接する内陸国。現在の国土は清王朝時代に外モンゴルと呼ばれたモンゴル高原北部の地域であり、南部の内モンゴルは現在中国の内モンゴル自治区となっている。モンゴル人はモンゴル国よりも内モンゴル自治区に住んでいる人の方が多い。モンゴル人は騎馬民族として中国を征服した歴史があり、13世紀にはユーラシアを席巻していた。


156万4116平方キロメートルという国土の割に人口は322万5200人と少ない。概ね南に行くほど乾燥しており、北部には森林・南部は砂漠が広がる。国内に銅・金・石炭・レアメタルなど豊富な鉱物資源を埋蔵している。モンゴル相撲ブフ)という伝統格闘技がある事もあり、日本の角界の強豪力士はモンゴル出身者が多い。


モンゴルのゴビ砂漠は恐竜の世界的産地の1つでもあり、これまで数多くの化石が発見された。化石調査には日本の調査団も参加しており、先述した相撲や映画などの撮影・ゴルバンゴル計画(チンギス・ハーンの墳墓捜索)への協力などから、日本と関連性が年々増加している。


国旗は社会主義時代のものから共産主義を示す星を外しただけのものである。1990年3月にモンゴルのゴルバチョフと呼ばれたジャムビィン・バトムンフの政権において人民革命党の一党独裁制が終焉し、多党制に移行した。同党は2010年11月に人民党に改名して多党制の中でも重要な地位を占めており、現在は過半数の与党である。


歴史

社会主義時代

1921年3月に人民党が結成されてソビエト連邦の援助を求め、これに応じた赤軍・極東共和国軍はモンゴルに介入した。同年7月に人民革命が成功に終わり、1924年11月にモンゴル人民共和国が成立した。


1939年3月にホルローギーン・チョイバルサンが閣僚会議議長に就任し、在任中は1941年3月にモンゴル語表記をキリル文字に切り替えた。1952年1月にチョイバルサンは死去した。後任にはユムジャーギィン・ツェデンバルが就任した。ツェデンバルの治世では1960年4月から表面化した中ソ対立で、一貫してソ連支持の姿勢を取った。


一方でモンゴルなど東側諸国5か国・日本など西側諸国13か国の国際連合への加盟が同安全保障理事会で一括協議されたが、1955年12月に中華民国がモンゴルの加盟に領有権を主張して拒否権を発動した為、ソ連は報復に日本の加盟に拒否権を発動した。結局モンゴルの加盟は1961年10月まで持ち越しとなった。


民主化・その後

1990年3月にドゥマーギーン・ソドノム閣僚会議議長(首相)の決断によって一党独裁を放棄した。1992年2月にモンゴル国に改称して新憲法を制定し、社会主義を完全放棄した。


軍事

陸軍と空軍しか存在しない。特に陸軍は精強でT-72型戦車を変態機動させる事で有名であり、ざっくり言うと騎馬から戦車に変わっただけである。一方で内陸国でありながら海軍を保有していたが、後に民営化された。


国際関係

外交方針は隣国の中国・ロシアとのバランスを維持しながら、それに過度に依存せずに「第三の隣国」(日本・アメリカ)との関係を発展させる事である。2015年9月にエルベグドルジ大統領がモンゴルを永世中立国にすると宣言したが、2020年5月には事実上頓挫している。


ロシア連邦

1960年4月に表面化した中ソ対立ではソ連側に与するなど、鉄道などを含むインフラ整備に貢献したロシアとは友好関係にある。その影響から公用語のモンゴル語はキリル文字を使用しており、社会主義時代はソ連従属政策を実施してきた。


中華人民共和国

1949年10月に外交関係を樹立し、1960年5月に友好相互援助条約を締結した。ウランバートル平和橋などの建設・モンゴル縦貫鉄道の完成など当初は友好関係にあったが、中ソ対立の期間は中国との激しい抗争を継続してきており、対立が沈静化しつつあった1988年11月には、両国の国境問題処理に関する条約と領事条約が締結された。


しかし歴史的に何度も中国からの侵略を受けたモンゴルは、今でも中国に対する激しい敵対心を抱いており、中国人がモンゴルで襲撃されるほどである。また国内の極右団体が極端な反中国・反中国人運動を展開しており、「中国人の男と寝た。」との理由で、複数のモンゴル人女性の頭髪を丸刈りにする・中国と関係が深かったモンゴル人を殺害する事件も発生している。ウランバートル市内にはハーケンクロイツのマークと共に「中国人を射殺せよ。」とする落書きも多く見られる。


北朝鮮

2010年4月に元力士の朝青龍が、今は亡き金正日総書記のもとを訪問して話題になった。


日本

1972年2月に外交関係を樹立し、1977年8月に経済協力協定を締結してノモンハン事件の対日賠償請求を取り下げた。その代わりに日本は50億円を無償贈与し、ウランバートルにカシミア工場が建設された。しかし社会主義時代は冷戦構造とソ連の影響下にあって密接な関係を持たず、本格的な交流強化は1990年3月の民主化を待たなければならなかった。社会主義時代の反日教育があったものの、伝統的にモンゴル人の日本へのイメージは良好で、モンゴルは日本にとって北東アジアの安全保障の為に極めて重要なパートナーとなっている。


関連イラスト

無題


関連タグ

地域

アジア 北アジア 東アジア


歴史

チンギス・ハーン 元寇 モンゴル帝国


文化

モンゴル人 モンゴル神話 蒼き狼

馬頭琴モリンホール) モンゴル相撲 スーホの白い馬

カシミヤ(モンゴルが主要産地の一つ)


キャラクター

モンゴルマン 蒙さん スフバートル テムジン バトムンフ・バトバヤル ジュチ ゴルザ マンドリカルド(タタール人だとされる) 蒼穹の覇王カーン・ウルフ(チンギス・ハーンがモデル) 鉄人仮面テムジン将軍 黄金狼男(改造地がモンゴル) ザリガーナ(同上) トリカブトロン(同上) モー・ショボー


その他

モンゴリアンデスワーム

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