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バグラチオン作戦の編集履歴

2022-06-20 21:11:19 バージョン

バグラチオン作戦

ばぐらちおんさくせん

仏のナポレオンからロシアを守った「祖国戦争」に続く「大祖国戦争」。西部戦線より苛烈を極め、ヨーロッパを占領したナチス・ドイツ(&イタリア)を打倒して、東欧諸国を解放したと思われたが、冷戦期になると…誰か来たようだ。

概要

期間1944年六月二十二日から1944年八月二十日まで
地域白ロシア・ソヴェト社会主義共和国ソヴェト同盟、東部ポーランドドイツ帝国
勝敗ソ同盟の勝利
結果白ロシアおよびリトアニア地域の解放赤軍ポーランド領内への進出、ドイツ国防軍中央軍集団消滅

交戦国大ドイツ帝国、ベラルーシ郷土防衛軍ソヴェト社会主義共和国同盟ポーランド国民解放委員会ポーランド第一軍)、自由フランスノルマンディー・ニーメン
指揮官E・ブッシュ(6月28日まで中央軍集団の司令官)、W・モーデル(6月28日まで中央軍集団の司令官、また北ウクライナ軍集団の司令官)、G=H・ラインハルト(第三装甲軍の司令官)、H・ヨルダン(6月27日まで第九軍司令官)、K・フォン・ティッペルスキルヒ(第四軍司令官)、ヴィンツェンツ・ミュラー(6月30日から7月8日までだ四軍司令官)、ニコラウス・フォン・フォアマン(6月27日以降第九軍司令官)、W・ヴァイス(第二軍司令官)И・バグラミャーン第一沿バルト正面軍)、И・Д・チェルニャホーフスキイ第三白ロシア正面軍)、Г・Ф・ザハーロフ第二白ロシア正面軍)、К・К・ロコソーフスキイ第一白ロシア正面軍)、ゲオールギイ・ジューコフ(第一および第二白ロシア正面軍の調整)、アレクサーンドル・ヴァシレーフスキイ(第三白ロシアおよび第一沿バルト方面軍の調整)、А・И・アントーノフ(作戦立案)
参加兵力兵士85万名、火砲・臼砲・ロケット兵器3236門、戦車および突撃砲570両、航空機602機兵士140万名、火砲・臼砲・ロケット兵器3万1000門、戦車および突撃砲5200両、航空機5300機
損失人員39万9102名、2万6397名戦死、10万9776名負傷、捕虜26万2929名人員76万5815名、戦死者および行方不明者17万8507名、負傷者58万7308名

 バグラチオン作戦は、独ソ戦開始3年目の1944年6月22日にベラルーシで開始された、ソ連軍(赤軍)のナチス・ドイツ軍に対する攻勢(反撃)作戦の名称(※1)。作戦は1944年六月二十二日、ソヴェトの四個軍によるドイツ中央軍集団への攻撃で始まり、その第一目標は白ロシア・ソヴェト社会主義共和国首都ミーンスクの奪還にあった。この作戦によりドイツ中央軍集団は回復不可能な大打撃を受け、バルバロッサ作戦によって拡大していた戦線は大きく西に押し戻され、ほぼポーランドまで移動した(※A1)。軍事史的には、この「ソヴェトの電撃戦」(※2)は、成功した「縦深作戦」戦略の変遷であると評価されている。

 バグラチオン作戦は、中央軍集団の完全な崩壊と、国防軍の二十八個師団の喪失へとつながった。バグラチオン作戦は、ドイツの軍事史上、もっとも重大で多くの被害を出した敗北とみなされている。この戦闘の最中に被った損害を、国防軍は補うことができなかった。ドイツの東部戦線の安定はこれ以降、終戦にいたるまで、一時的なものや局地的なものに限定された。「1944年夏の中央軍集団の消滅により、東方におけるドイツの戦争指導の断末魔が始まった」と軍事史家のヘルマン・ガッケンホルツは述べている(※3、※4)。

 バグラチオン作戦は、ドイツの敗戦に決定的に寄与したのみならず、政治的な進展にも、後々にいたる影響を与えた。ドイツの敗北は今や最終的に避けられないものとなった。国防軍の、赤色陸軍を少なくとも協定による和平へと追い込むことができるという希望は消散した。ソヴェトの諸々の勝利は、ポーランドのアルミヤ・クラヨヴァ(国内軍)をワルシャワ蜂起へと導くことになった。蜂起の目的は、ポーランドが自力でドイツの占領を脱し、赤軍によって国土を占領されることに先んじることができる、というものであった。カタストロフ的な前線における後退を目の当たりにし、ドイツのレジスタンス運動の参加者は、1944年七月二十日、クーデターの敢行を決意した。その他の重要な点として、ソヴェトの攻勢の最中、初めてドイツの強制収容所絶滅収容所が各地で解放され、それによってホロコーストの存在に関する情報が広範囲にわたって国際社会に認知されることになった。


※1 Militär-Enzyklopädisches Wörterbuch. S. 60.

※A1 バグラチオン作戦全体の過程において、赤軍の部隊は十一個の攻勢を分担し、ロシアの戦史叙述では、ヴィーチェプスク=オールシャ作戦、モギリョーフ作戦、ボブルーイスク作戦、ポーロツク作戦、ミーンスク作戦、ヴィリニュス作戦、シャウレイ作戦、ビャウィストク作戦、ルブリン=ブレスト作戦、カウナス作戦およびオソヴィエツ作戦と称されている。この区分は、並行して複数の展開が行われる際、主目的を見失わないうえで有益であるため維持されている。

※2 Dunn: Soviet Blitzkrieg: The Battle for White Russia, 1944. S. 2.

※3 Hermann Gackenholz: Der Zusammenbruch der Heeresgruppe Mitte 1944. In: Hans-Adolf Jacobsen, Jürgen Rohwer (Hrsg.): Entscheidungsschlachten des Zweiten Weltkrieges. Verlag Bernard & Graefe, Frankfurt/Main 1960, S. 474.

※4 ヘルマン・ガッケンホルツ「1944年夏の中央軍集団の崩壊について」。季刊現代史(VfZ)第三年次(1955年)第三号、S. 317-333、脚注。ガッケンホルツはオルテルスブルクの司令部において、参謀司令部で戦史を担当していた。彼はそのため、「参謀長ハンス・クレープス中将、および一級参謀本部員フォン・デア・グルーベン参謀本部大佐の資料を自由に使うことが可能であった」。この論文は、319~333ページに掲載されている。

戦力構成

 この項目では、1944年6月22日の時点の戦力を示す(ドイツ国防軍および赤軍は、北から南へと配置された順に並べられ、予備軍をまず別個に示す)。

ドイツ

 中央軍集団(エルンスト・ブッシュ元帥、クレープス参謀総長)に所属した戦力は以下の通り。

 第三装甲軍に属した部隊は以下の通り。

部隊その下の部隊
第95歩兵師団(ミハエリス中将)
第201保安師団(ヤコービ中将)
「フォン・ゴットベルク」戦闘団(クルト・フォン・ゴットベルク旅団指揮官
第九軍団(ヴートマン砲兵大将第252歩兵師団(メルツァー中将)、D戦闘団(パンベルク中将)、第245突撃砲旅団(クニュプリンク大尉
第53軍団(ゴルヴィッツァー歩兵大将第246歩兵師団(ミュラー=ビューロウ中将)、第206歩兵師団(ヒッター中将)、第四空軍野戦師団(ピストリウス中将)、第六空軍野戦師団(ペッシェル中将
第六軍団(プファイファー砲兵大将第197歩兵師団(ハーネ少将)、第299歩兵師団(ユンク少将)、第14歩兵師団(フレールケ中将)、第256歩兵師団(ヴュステンハーゲン中将)、第667突撃砲旅団(ウルマン大尉)、第281突撃砲旅団(フェンケルト大尉

 第四軍に属した部隊は以下の通り。

部隊その下の部隊
装甲擲弾兵師団「フェルトヘルンハレ」(フォン・シュタインケラー少将)
第27軍団(フェルケルス歩兵大将第78突撃師団(トラウト中将)、第25装甲擲弾兵師団(シュルマン少将)、第260歩兵師団(クラムト少将)、第501重戦車大隊(フォン・レガート少佐
第39装甲軍団(マルティネク砲兵大将第110歩兵師団(クロウスキ中将)、第337歩兵師団(シューネマン中将)、第12歩兵師団(バムラー中将)、第31歩兵師団(オクスナー中将)、第185突撃砲旅団(グロスナー少佐
第12軍団(ミュラー中将第18装甲擲弾兵師団(ツータヴェルン中将)、第267歩兵師団(ドレッシャー中将)、第57歩兵師団(トロヴィッツ少将

 第九軍に属した部隊は以下の通り。

部隊その下の部隊
第二十装甲師団(フォン・ケッセル中将
第707歩兵師団(ギール少将
第35軍団(フォン・リュッツォウ中将第134歩兵師団(フィリップ中将)、第296歩兵師団(クルマー中将)、第六歩兵師団(ハイネ中将)、第383歩兵師団(ハーマン中将)、第45歩兵師団(エンゲル少将
第41装甲軍団(ホーフマイスター中将第36歩兵師団(コンラーディ少将)、第35歩兵師団(リヒェルト中将)、第129歩兵師団(フォン・ラリッシュ少将
第55軍団(ヘアライン歩兵大将第292歩兵師団(ヨーン中将)、第102歩兵師団(フォン・ベルケン中将

 第二軍に属した部隊は以下の通り。

部隊その下の部隊
第四騎兵旅団(ホルステ少将
第八軍団(ヘーネ歩兵大将第211歩兵師団(エックハルト少将)、第五猟兵師団(トゥム中将
第23軍団(ティーマン工兵大将第203保安師団(ピルツ少将)、第17装甲擲弾兵旅団(ケルナー大佐)、第七歩兵師団(フォン・ラッパルト中将
第20軍団(フォン・ローマン砲兵大将E軍団支隊(フェルツマン中将)、第三騎兵旅団(ベーゼラーガー男爵ゲオルク大佐

ソヴェト同盟

 第一沿バルト正面軍に属した部隊は以下の通り。

部隊その下の部隊
第四攻撃軍(マールイシェフ中将
第83歩兵軍団(ソルダートフ少将
第六親衛軍(チスチャコーフ中将第二親衛歩兵軍団(クセノフォーントフ中将)、第22親衛歩兵軍団(ルーチキン少将)、第23親衛歩兵軍団(エルマコーフ中将)、第103歩兵軍団(フェヂューニキン少将)、第八榴弾砲師団、第21突破砲兵師団
第43軍(ビェロボロードフ中将第一歩兵軍団(ヴァシーリエフ中将)、第六十歩兵軍団(リュフチコフ少将)、第92歩兵軍団(イビャンスキイ中将)、第一戦車軍団(ブトコーフ中将
第三航空軍(パリーヴィン中将

 第三白ロシア正面軍を構成した部隊は以下の通り。

部隊その下の部隊
第五砲兵軍団(クチェーイニコフ砲兵少将
第十一親衛軍(ガーリツキイ中将第八親衛歩兵軍団(ザヴァドーフスキイ少将)、第十六親衛歩兵軍団(ヴォロビヨーフ少将)、第36親衛歩兵軍団(シャフラーノフ少将)、第二親衛戦車兵団(ブルヂェーイヌイ少将)、第七親衛自動車化師団(ロケット砲)(カルサーノフ砲兵少将
第五軍(クルイローフ中将第45歩兵軍団(ゴーロホフ少将)、第65歩兵軍団(ペレクレストフ少将)、第72歩兵軍団(カザルツェフ少将)、第三親衛突破砲兵師団(ロジャノヴィチ砲兵少将
第31軍(グラゴーレフ中将第36歩兵軍団(オレシェフ少将)、第71歩兵軍団(コシェヴォーイ中将)、第113歩兵軍団(プロヴァロフ少将
第39軍(リュードニコフ中将第五親衛歩兵軍団(ビェズーグルイ少将)、第84歩兵軍団(プロコフィエフ少将
第五親衛戦車軍(ロートミストロフ元帥第三親衛戦車軍団(ヴォーフチェンコ少将)、第29戦車軍団(フォミヌイーフ少将
機械化騎兵集団(オシリコーフスキイ中将第三騎兵軍団(オシリコーフスキイ中将)、第三親衛自動車化軍団(オブホフ中将
第一航空軍(グローモフ中将

 第二白ロシア正面軍を構成した部隊は以下の通り。

部隊その下の部隊
第33軍(クリュチョーンキン中将第70歩兵師団(コレースニコフ大佐)、第157歩兵師団(カテューシン大佐)、第344歩兵師団(ドルジーニン大佐
第49軍(グリーシン中将第62歩兵軍団(ナウーモフ少将)、第69歩兵軍団(ムリタン少将)、第76歩兵軍団(グルーホフ少将)、第81歩兵軍団(パニュホーフ少将
第五十軍(ボールヂン中将第19歩兵軍団(サマールスキイ少将)、第38歩兵軍団(テレシコーフ少将)、第121歩兵軍団(スミルノーフ少将
第四航空軍(ヴェルシーニン大将

 第一白ロシア正面軍は以下の部隊より構成された。

部隊その下の部隊
第二親衛騎兵軍団(クリューコフ中将
第四親衛騎兵軍団(プリーエフ中将
第七親衛騎兵軍団(コンスタンチーノフ少将
ドニエプル河川艦隊(グリゴーリエフ一等艦長
第三軍(ゴルバートフ中将第35歩兵軍団(ジョールヂェフ少将)、第40歩兵軍団(クズネツォーフ少将)、第41歩兵軍団(ウルバノヴィチ少将)、第46歩兵軍団(ボルシチョーフ少将)、第80歩兵軍団(ラグリャ少将)、第9戦車軍団(バハロフ少将)、第五親衛自動車化師団(ゲンナーヂイ・ファンタロフ大佐
第28軍(ルチーンスキイ中将第三親衛歩兵軍団(ペルホローヴィチ少将)、第二十歩兵軍団(シュヴァレフ少将)、第128歩兵軍団(バチーツキイ少将)、第46歩兵軍団(エラストフ中将)、第五突破砲兵師団(スネグロフ大佐)、第十二突破砲兵師団(クルコフスキイ砲兵少将
第48軍(ロマネーンコ中将第29歩兵軍団(アンドレーエフ少将)、第42歩兵軍団(コルガーノフ中将)、第53歩兵軍団(スレズニョーフ少将)、第22突破砲兵師団(ズラジェーフスキイ大佐
第61軍(ベローフ中将第九親衛歩兵軍団(ポポーフ少将)、第89歩兵軍団(ヤノーフスキイ少将
第65軍(バートフ中将第18歩兵軍団(イヴァノフ少将)、第105歩兵軍団(アレクセーエフ少将)、第一親衛戦車軍団(パノーフ少将)、第一自動車化軍団(クリヴォシェーイン中将)、第26砲兵師団

その他

 作戦名はロシア帝国時代のナポレオン戦争(ロシアでは「祖国戦争」)で活躍したピョートル・バグラチオーン将軍に由来。

 バグラチオン作戦に含まれる時期は、パーシー・エルンスト・シュラムによって刊行された、国防軍首脳部の戦時中の日誌では空白となっており、それはこの戦域における戦争指導の責任が、アドルフ・ヒトラーおよび陸軍参謀本部にのみ依拠していたことにあるとしている。OKHの資料は、一部の例外を除き、散逸してしまったといわれている(※1)。

 東部戦線の戦いは苛烈を極め、短期間で大規模の戦死者を出したことから、ギネスブックに記載された。


※1 Schramm: Kriegstagebuch des Oberkommandos der Wehrmacht. Bd. IVa, S. 856.

関連タグ

スターリングラード

レニングラード(現:サンクトペテルブルク

ベルリン

ソ連 / 赤軍 / 督戦隊 / 秘密警察

第三帝国 / 国防軍 / 武装SS / 野戦憲兵

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