この項目で語られる事件は複数存在する。
- 昭和40年に東京都議会で発生した議長選出の際の自由民主党を主とする不祥事。結果として議会が自主解散した。
- 昭和41年に発生した政権与党であった自民党そのほかの各種不祥事。
- 昭和44年から昭和47年にかけて明るみになったプロ野球界の八百長事件。
- 昭和47年に発生した日本プロボクシング界における協栄ボクシングジムと日本プロボクシング協会の対立。
などが有名である。この項目ではプロ野球のものと国政によるものを中心に解説する。
なお、「黒い霧」の由来は『日本の黒い霧』(松本清張が昭和35年に発表したノンフィクション、第二次世界大戦後のGHQ占領下に起きた事件を取材したもの)からきている。
国政
この事件は複数の事件(田中彰治事件、公私混同お国入り問題、深谷駅急行乗停車問題、共和製糖事件、公私混合官費旅行、東京大証社長仲人問題)が発生、当時首相であった佐藤栄作はこの件に関して内閣を改造、その後解散に打って出た(この衆議院解散を「黒い霧解散」と呼ぶ)。第31回衆議院議員総選挙の結果、投票総数では50%を割るものの、共和製糖事件が日本社会党に飛び火したことや公明党の出馬もあり、議席数は6程度の減少にとどまった。
詳細はwikipediaの黒い霧事件_(政界)を参照されたし。
プロ野球
この事件は1969年のシーズン中、西鉄ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)のある投手が八百長を行ったという疑惑が読売新聞などが報じたことがきっかけとなり、プロ野球の八百長(敗退行為)が明らかとなった。また同時に複数の疑惑等(暴力団などとの交際、ほかの賭博の八百長行為加担)が明らかとなり、永久追放6名、事実上の追放3名(いずれも現役を引退していたため、実際に処分された訳ではない)、1年間の出場禁止2名、3ヶ月の謹慎2名などの処分者を出すこととなった。
はじまり
八百長疑惑が報じられ、球団側もその選手に関してはそれを認めた。
この選手は追放処分となり、姿をくらます。この選手に八百長を勧めたとする1969年時点で中日ドラゴンズの投手が事実上の追放処分となった。
また同時に暴力団がかかわる不祥事が読売ジャイアンツのコーチに発生した。
この件を受けて国会での追求も始まった。
さらに大事に
姿をくらませた元選手は実は球団のオーナーより口止め料をもらい逃亡していた。
ところが、マスコミに八百長の実態と口止め料の件をリークした。
そして公式の場に登場し、八百長に関係した選手の本名を明らかにした。
そして複数の選手が永久追放や事実上の追放、その他処分を受けることとなった。
オートレースの八百長
オートレース(バイクのレーシングで、金を賭けて行う)の八百長に関しても野球選手がかかわっていることが明らかとなり、複数の選手と黒幕が逮捕された。
実はこの黒幕は野球の八百長にも関係している人物であった。
事件の結果
この事件をきっかけとして西鉄はオーナー(西日本鉄道社長)が引退においこまれた。また球団自体の人気が低迷、球団を手放すこととなり、西武ライオンズ発足まで負のスパイラルに陥るきっかけとなった。また、東映フライヤーズ(現:北海道日本ハムファイターズ)はこの件でエースを失い成績が低迷、さらにオーナーであった大川博が1971年に死亡したこともあり、赤字経営であった球団の身売りのきっかけとなった。
また、この事件およびオートレースの八百長に関係し、多くの選手が追放された西鉄および中日は特に戦力が低下した。
その一方で、当時西鉄に所属していた東尾修は野手転向を考えるほどであったが(東尾の打撃成績は実働6年で330打数56安打1本塁打18打点2盗塁15四球1死球で打率.170、出塁率.192と決して悪い成績とは言えなかった)、投手不足のためそれがかなわず、大投手、やがては名球会入りとして成長していくこととなる。
オートレースの八百長に関しては後に冤罪と認められ復帰したレーサーが存在する。
詳細
この事件の詳細に関してはwikipedia:黒い霧事件_(日本プロ野球)を参照されたし。