文化勲章
ぶんかくんしょう
概要
文化勲章は日本の勲章の一つ。旭日章・宝冠章・瑞宝章の各大綬章と同格またはそれに準じるとされ、それらの各二等格勲章より上位に位置づけられる。
等級は無く、この名を以て運用される。運用および授与対象は、「科学技術や芸術などの文化の発展や向上にめざましい功績を挙げた者」。こうした対象から、芸術分野や文化人などの著名人も多く授与され、話題になりやすい。
1937年に当時の首相・広田弘毅により発案され、同年「文化勲章令」の発令により制定された。
意匠は五弁の白い花びらを持つ橘の花を模した独自のものである。中央のめしべ・柱頭にあたる部分は紅く染められ、三つ巴の勾玉が中に白抜きで配置される。鈕は橘の葉と実を、それぞれ緑色と淡緑色で表す。略綬は淡紫色、副章は無く、階級では二段階下となる中綬章と同じスタイルである。
世界的には騎士団勲章としての性格を持つ。このような非軍人用の単一勲章が騎士団勲章スタイルとなることは割と世界でもあり、イギリスのメリット勲章(文民用)なども似たような経緯を持つ(ただし、メリット勲章は軍人用と併用)。
この場合の事実上の団長格は天皇である。通常、文化勲章の授与式以外で佩用されない。
授与者について
原則として、先んじて文化功労者の中から選定される。文化功労者以外から叙される場合でも、同時に文化功労者に選ばれるようになっている。また、文化功労者になることで、同制度に基づき年金が支給される(違憲となるため、勲章そのものにこの年金制度は無い)。
なお、ノーベル賞に叙された日本人及び日本出身者には慣例として同年のうちに文化勲章が授与されるようになっている。
江崎玲於奈のノーベル賞受賞までは、文化勲章の方が先んじていた例が全てであったが、近年では文化勲章の後追い例が増えている。日本出身であれば日系人でも授与されていたが、2017年のカズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞の際は見送られている。
かつてアポロ11号が月面着陸に成功した時、ニール・アームストロング機長以下3名が世界各国を歴訪したが、この時各国は最高位の勲章を叙勲する例が多かった。
しかし、日本の慣例では一介の公務員や軍人に過ぎない彼らに上位の旭日章などを与えるわけにはいかず、かといって慣例通りの勲章では著しく他国のバランスを欠くと懸念された。このため、当時の首相佐藤栄作の鶴の一声で単一勲章である文化勲章が授与されたことがある。軍人に文化勲章が贈られたのは後にも先にもこれきりである(戦前の昭和天皇を除く)。
他は、純粋な外国人に授与される例は殆ど無い。日本文化に寄与した一部の者に贈られた程度で、外交上の儀礼叙勲の対象としても原則使用されない。
政府が授与を打診することもままあるし、ノーベル賞受賞者は慣例的に授与対象であるが、基本的に文部科学省が選考を主導するため、一過的要素の強い国民的スターが必ずしも授与されるわけではない。
こうした人物には、国民栄誉賞が授与されることが多い(森光子など、双方を叙されたり国民栄誉賞の方が授与が遅い者もいる)。
昭和天皇はこの勲章の運用について、「文化勲章というのは、家が貧しくて、研究費も足りない。にもかかわらず生涯を文化や科学技術発展のために尽くした。そういう者を表彰するのが本来のやり方ではないのか」とし、例え文化への寄与や投資に一日の長があっても、富裕な人物に叙するのは望ましくないという見解を示されたという。
この原則は後年になってもある程度は守られ、ある日鹿島建設社長の鹿島守之助(鹿島の経営者として大層裕福であると同時に、文化への投資や活動にも積極的であった)への叙勲を政府が打診したことがあったが、この基準を守るために見送られた、ということがあったとされる。
なお、勲章の意匠が当初桜を予定していたのが橘となったのも、昭和天皇の考えによるもの。常緑樹であり、古来より愛されてきた花であると同時に、桜は軍人に対する栄誉面でよく使われることから、より相応しいのは橘であるとした、という。
関連する栄転
文化勲章は単一等級であるが、同系統の栄誉を成した場合で文化勲章にまでは一歩及ばない、とされた場合は主に旭日双光章や旭日小綬章(稀に旭日中綬章)が授与されることが多い。また紫綬褒章→旭日小綬章→文化功労者→文化勲章という授与例がよく見られる。
かつては勲四等瑞宝章がこのポジションにあり、稀に勲三等瑞宝章に叙されることもあった。
なお、文化勲章叙勲後に「更に評価すべき立場となった」場合に勲一等瑞宝章が追叙された例もある。何れも、2003年の栄典改正後は瑞宝章を民間人に授与する例が殆ど無くなったことや、大綬章と文化勲章は同一等級と見做すようになったため、現行の制度に取って替えられた。
現在でも文化勲章授与後に更なる評価を得ることで桐花大綬章や菊花大綬章を叙される可能性はあるが、そのような事例は2022年現在まだ存在していない。
受章者が死後に叙される位階はほぼ一律で従三位。これは大綬章を授与される場合に並ぶまたは準じるものである。
文化勲章を受章する程の実績を持つと言われながらも、残念ながら受章前に亡くなった場合に没時追贈が行われることは滅多に無い。この点は旭日章等の他の栄典とは一線を画すと言ってもいいかもしれない。既に受章が内定していたにもかかわらず受章直前に急死した場合を除けば、六代目尾上菊五郎・牧野富太郎の両名の事例が見られるのみである(何れも60年以上前の事例)。
上述のように内定後の急死を除くと、「文化勲章クラスの功績」を遺した者には正四位・旭日重光章(改正前は勲二等瑞宝章のパターンも)が追贈されることが多い。この場合、文化勲章に直ぐ準じる扱い、ということになるだろう。