概要
1925年5月10日、日本統治時代・朝鮮の京城(現ソウル)に生誕。大阪府育ち。
大学在学中から演劇にかかわり、初の女性社員として松竹に入社。その後先輩の脚本の手伝いをし、1952年公開の映画「郷愁」で脚本家デビューし後に退社し専業脚本家となった。
脚本家は裏方に徹する人も多いが、彼女はバラエティ番組にもよく出て来てコメンテーター的な活動もしていたため、お茶の間にその顔を広く知られていた。
2021年4月4日、静岡県熱海市内の自宅で死去。享年97(満95歳没)。同年2月より急性リンパ腫の治療を受けていたという。
作風など
嫁姑などのドロドロ路線を得意とし、台詞がとにかく長いので有名。
しかもその台詞を変えることを一切許さない(ただし、セリフのニュアンスが大きく変わってしまわない程度であれば、大目に見る場合もあるらしい。)という役者泣かせのホンである。
なお、本人は、こうした特徴的なセリフ回しは、視聴者が画面から離れていても、話の展開についていけるようにするための配慮である、と釈明しているが、毎日新聞のインタビューでは松竹時代に一所懸命書いたセリフを見た映画監督に「映画は絵(映像)で見せるモノだからもっとセリフを短くしろ」と命じられたり撮影現場で役者に勝手にセリフを削られたりした事による私怨であるとも語っており必ずしも視聴者の為ばかりではない様である。
また、キャラクター同士の年功序列や上下関係をハッキリさせたい彼女自身の意向により、家族や隣人同士の関係でも、堅苦しく聞こえるほど、敬語が徹底して使われている点や、『作る』→『こしらえる』、『味噌汁』→『おみおつけ』等、既に死語となった古臭い言い回しの多い点も、大きな特徴の一つとしてよく挙げられている。
また、死別したTBSプロデューサーの夫から「不倫と人殺しの話だけは絶対に書かないでくれ」と言われており、俳優が死体役や濡れ場を演じるような脚本は一切書かなかったという。
泉ピン子など出演俳優の顔ぶれが「橋田ファミリー」と称されるくらい良くも悪くも固定気味な傾向がある。