ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

概要編集

1925年5月10日、日本統治時代・朝鮮の京城(現ソウル)に生誕。大阪府育ち。


大学在学中から演劇にかかわり、初の女性社員として松竹に入社。その後先輩の脚本の手伝いをし、1952年公開の映画「郷愁」で脚本家デビューし後に退社し専業脚本家となった。


脚本家は裏方に徹する人も多いが、彼女はバラエティ番組にもよく出て来てコメンテーター的な活動もしていたため、お茶の間にその顔を広く知られていた。


2021年4月4日、静岡県熱海市内の自宅で死去。享年97(満95歳没)。同年2月より急性リンパ腫の治療を受けていたという。


作風など編集

嫁姑などのドロドロ路線を得意とし、台詞がとにかく長いので有名。

しかもその台詞を変えることを一切許さない(ただし、セリフのニュアンスが大きく変わってしまわない程度であれば、大目に見る場合もあるらしい。)という役者泣かせのホンである。

なお、本人は、こうした特徴的なセリフ回しは、視聴者が画面から離れていても、話の展開についていけるようにするための配慮である、と釈明しているが、毎日新聞のインタビューでは松竹時代に一所懸命書いたセリフを見た映画監督に「映画は絵(映像)で見せるモノだからもっとセリフを短くしろ」と命じられたり撮影現場で役者に勝手にセリフを削られたりした事による私怨であるとも語っており必ずしも視聴者の為ばかりではない様である。

また、キャラクター同士の年功序列や上下関係をハッキリさせたい彼女自身の意向により、家族や隣人同士の関係でも、堅苦しく聞こえるほど、敬語が徹底して使われている点や、『作る』→『こしらえる』、『味噌汁』→『おみおつけ』等、既に死語となった古臭い言い回しの多い点も、大きな特徴の一つとしてよく挙げられている。

また、死別したTBSプロデューサーの夫から「不倫人殺しの話だけは絶対に書かないでくれ」と言われており、俳優が死体役や濡れ場を演じるような脚本は一切書かなかったという。


泉ピン子など出演俳優の顔ぶれが「橋田ファミリー」と称されるくらい良くも悪くも固定気味な傾向がある。


主な作品編集


関連タグ編集

脚本家 石井ふく子

関連記事

親記事

脚本家 きゃくほんか

子記事

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 2340

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました