概要
中生代に栄えた爬虫類の一群。外見はイルカやサメに似ている(収斂進化)。脊椎動物の歴史の中で最も早く海への適応を示した生き物である。
長らく原始的な双弓類とされていたが、最近では鱗竜類に含める考えもある。いずれにせよ、「陸にいた頃の直系の祖先に関しては未だ不明」なため、はっきりしない。
発見
1811年のイギリスでの発見を皮切りに世界各地で化石が発見されており、日本で発見されたウタツサウルス(歌津魚竜)の化石は、世界で最も古い魚竜の一つとして有名。この頃は、まだ「四肢や尾が鰭状になっていたトカゲ」のような細長い姿だった。
体の大きさ
最大のものは三畳紀に生息していたショニサウルス。その体長実に15~21メートル、ナガスクジラ並の大きさを誇っていた。逆に最小の種は同じく三畳紀に棲息していたミクソサウルスで、1メートルほどの大きさである。良く知られているイクチオサウルス(ジュラ紀)のような3メートルほどの大きさの小型種も居れば、6メートルほどの大きさを持つオフタルモサウルスや7メートルほどの大きさがあるプラティプテリギウスの様な中型種も居た。
食性
主に表層や深海で魚類や頭足類、エビなどを食べる種が多かったが、テムノドントサウルスやタラットアルコンの様な一部の種には現存するシャチのように、他の海生爬虫類を襲う種も存在していた。
変遷と絶滅
ペルム紀末期に地球史上最大の大量絶滅で大ダメージを負った海洋は三畳紀前期にようやく回復していった。そこに進出したのが魚竜の祖先であった。「海洋に戻った最初の有羊膜類(爬虫類と哺乳類をあわせた分類群)」として三畳紀の魚竜は急速に海洋に適応し、大いに栄えることになった。最初の繁栄のピークを迎えていた魚竜だが三畳紀末に起きた大量絶滅ではキンボスポンディルスやショニサウルス等の一部魚竜が絶滅し、イクチオサウルスと同じような体型を持つ高度に遊泳に適した進化を遂げた魚竜のみが生き残った。それでも魚竜は続くジュラ紀前期でも海洋生態系の頂点にあり続け、第二の繁栄の時代となった。
ジュラ紀前期の海洋生態系の頂点捕食者だったテムノドントサウルスなどがジュラ紀前期末に発生した中生代最初の海洋無酸素事変(海底火山の噴火などで海中の水温・水質が悪化し、酸素が極度に欠乏する事で海洋生態系が崩壊してしまう現象)で滅んだ事で魚竜の支配した海は終わりを告げた。
ジュラ紀中期に入ると、魚竜の一部が絶滅した間隙を突く形で首長竜が勢力を拡大し始め、それに押されて魚竜は頂点捕食者としての地位を失い、ジュラ紀後期から白亜紀前期中頃までは首長竜の一部であるプリオサウルス類に捕食される立場となったが、当時の小中型の魚竜はそれでも首長竜に次ぐ地位を維持し続け一定の繁栄をおさめていた。
しかし、白亜紀前期後半に発生した2度目の海洋無酸素事変でプリオサウルス類と一緒に衰退を始め、更に白亜紀後期前半に再び発生した3度目の海洋無酸素事変でとどめを刺される形でプリオサウルス類共々、中生代の終焉を待たずに絶滅したとされる。三畳紀末期の大量絶滅やその後もあった中小規模の絶滅事変を数回にわたって乗り越えた魚竜が何故、白亜紀後期の絶滅事変を生き延びられなかったのかは一つの謎ではある。
絶滅後に空いた魚竜の地位は白亜紀後期前半に出現したモササウルス類とプレシオサウルス類に属するポリコティルス類が占める事になった。