概要
中生代に栄えた爬虫類の一群。外見はイルカやサメに似ている(収斂進化)。陸上脊椎動物(および有羊膜類)の歴史の中で最も早く海への適応を示した生き物である。
初の陸上脊椎動物の両生類やそこから派生した有羊膜類は魚竜出現の遥か前(両生類は魚竜出現の約1億年以上前、有羊膜類は5千万年近く前)から存在していたが彼等は「海にも棲める」程度の種が僅かに存在していたに過ぎない。そんな中、魚竜が初めて海洋に本格的に進出する事になった。魚竜以降、海洋動物として成功を収める有羊膜類は現生のクジラなどに至るまで幾度となく現れている(絶滅してもその空白に新たなグループが短期間のうちに進化して、後釜に座っている)。その意味で魚竜はまさにパイオニア(先駆者、開拓者)だったと言える。
古生代から既にサメなどの大型魚類が海洋にはいたにもかかわらず、中生代初期の魚竜以降、大型陸上脊椎動物による海洋進出が絶え間なく可能になっている背景は未だにはっきりしていない(魚竜以降の海洋に進出・適応した大型有羊膜類類は全て胎生と高代謝という共通点があることが窺われ、これが鍵を握っているのかもしれない)。
その祖は長らく原始的な双弓類とされていたが謎に包まれている(水棲適応を進めた結果、あまりにも他の爬虫類と違っているため、20世紀前半のドイツの古生物学者ヒューネが「爬虫類とは別個に両生類から進化した独自系統」という珍説を唱えた事があるほど。ちなみに現生のクジラ類もその祖については当時の古生物学者にとってお手上げであり「常軌を逸した哺乳類」と評す学者もいた。それでもクジラ類は解剖学的な見地から偶蹄目の類縁であることが朧気ながら解っていたが、これは化石しかない場合は到底不可能なアプローチであり、魚竜の起源が未だに解らないのも無理のないことである)。
最近では鱗竜類に含める考えもある。いずれにせよ、「陸にいた頃の直系の祖先に関しては未だ不明」なため、はっきりしない。陸棲時代の祖先は現生の爬虫類のどの系統に(比較的)近かったにせよ、かなり早い段階で既に枝分かれした遠縁とみられる。爬虫類だが陸上では産卵せず、水中で出産する胎生であったことが胎児を妊娠した個体の化石から確認されている。ちなみに首長竜類やモササウルス類も同様に胎生であったことが化石から確認されており、爬虫類が水棲適応を進めるにあたって、胎生は欠かせない要素であったようだ。
発見
1811年のイギリスでの発見を皮切りに世界各地で化石が発見されており(化石の発見とそれに始まる研究の歴史は恐竜より早い)、日本で発見されたウタツサウルス(歌津魚竜)の化石は、世界で最も古い魚竜の一つとして有名。この頃は、まだ「四肢や尾が鰭状になっていたトカゲ」のような細長い姿だった。
体の大きさ
最大のものは三畳紀に生息していたショニサウルス。その体長実に15~21メートル、それ以上の大きさがあったことを示唆する断片的な化石もあり、少なくともナガスクジラ並の大きさを誇っていた。既知の水棲爬虫類では間違いなく史上最大級である。逆に最小の種は同じく三畳紀に棲息していたミクソサウルスで、1メートルほどの大きさである。良く知られているイクチオサウルス(ジュラ紀)のような3メートルほどの大きさの小型種も居れば、6メートルほどの大きさを持つオフタルモサウルスや7メートルほどの大きさがあるプラティプテリギウスの様な中型種も居た。
食性
主に表層や深海で魚類や頭足類、エビ(甲殻類)などを食べる種が多かったが、テムノドントサウルスやタラットアルコンの様な一部の種には現存するシャチのように、他の海生爬虫類を襲う種も存在していた。
変遷と絶滅
ペルム紀末期に地球史上最大の大量絶滅で大ダメージを負った海洋は三畳紀前期にようやく回復していった。そこに進出したのが魚竜の祖先であった。「海洋に戻った最初の有羊膜類(爬虫類と哺乳類をあわせた分類群)」として三畳紀の魚竜は急速に海洋に適応し、大いに栄えることになった。最初の繁栄のピークを迎えていた魚竜だが三畳紀末に起きた大量絶滅ではキンボスポンディルスやショニサウルス等の一部魚竜が絶滅し、イクチオサウルスと同じような体型を持つ高度に遊泳に適した進化を遂げた魚竜のみが生き残った。それでも魚竜は続くジュラ紀前期でも海洋生態系の頂点にあり続け、第二の繁栄の時代となった。
ジュラ紀前期の海洋生態系の頂点捕食者だったテムノドントサウルスなどがジュラ紀前期末に発生した中生代最初の海洋無酸素事変(海底火山の噴火やそれに伴う異常気象などで海中の水温・水質が悪化し、酸素が極度に欠乏する事で海洋生態系が崩壊してしまう現象)で滅んだ事で魚竜の支配した海は終わりを告げた。
ジュラ紀中期に入ると、魚竜の一部が絶滅した間隙を突く形で首長竜が勢力を拡大し始め、それに押されて魚竜は頂点捕食者としての地位を失い、ジュラ紀後期から白亜紀前期中頃までは首長竜の一部であるプリオサウルス類に捕食される立場となったが、当時の小中型の魚竜はそれでも首長竜に次ぐ地位を維持し続け長期間にわたって一定の繁栄をおさめていた。
しかし、白亜紀前期後半に発生した2度目の海洋無酸素事変でプリオサウルス類と一緒に衰退を始め、更に白亜紀後期前半に再び発生した3度目の海洋無酸素事変でとどめを刺される形でプリオサウルス類共々、中生代の終焉を待たずに絶滅したとされる。約9400~9000万年前頃の事とされ、約2億5000万前の出現以来、1億6000万年間程も続いた魚竜の歴史は幕を閉じた。三畳紀末期の大量絶滅やその後もあった中小規模の絶滅事変を数回にわたって乗り越えた魚竜が何故、白亜紀後期前半の絶滅事変を生き延びられなかったのかは一つの謎ではある(比較的、短期間に海洋無酸素事変が立て続けに起きた事が影響したのかもしれない)。
絶滅後に空いた魚竜の地位は白亜紀後期前半に出現したモササウルス類とプレシオサウルス類に属するポリコティルス類が占める事になった。しかし、彼等もまた、その約2000万年後に起きた巨大隕石の衝突という白亜紀末期の大量絶滅で消え去ってしまうことになる。もし魚竜が白亜紀後期前半を、過去の絶滅事変の時と同様に乗り越えられたとしても、白亜紀末期に絶滅する運命からはやはり逃れられなかったことだろう。