プロフィール
父系はミスタープロスペクター系。
ゼニヤッタの祖父マキャベリアンは特に母父として日本競馬界への影響が大きく、アサクサデンエン、ヴィクトワールピサ、ヴィルシーナ、シュヴァルグラン、ヴィブロスらの母父である。
父ストリートクライは2002年のドバイワールドカップなどG1競走2勝。
引退後は種牡馬として、ゼニヤッタ以外にもケンタッキーダービー馬ストリートセンス、オーストラリアでG1競走25勝の世界記録を樹立するウィンクスなどを輩出する。
母父は日本ではシンボリクリスエスの父として知られるクリスエス。
そして母フェルティギニューは、ゼニヤッタの半姉としてG1競走3勝のバランス(2003年生、父サンダーガルチ)をも産んでいる。
以上、現在から振り返れば活躍が見込める血統は十分に有していたのだが、ゼニヤッタは父ストリートクライの初年度産駒のためまだ父の種牡馬評価は定まっておらず、またセリにかけられた時点では半姉バランスもまだデビュー前だった。
このため、競走馬セリ市での購買価格は6万ドルに留まった。この牝馬が、のちに購入額の100倍以上を稼ぎ出すことになる。
馬主はアメリカの音楽レーベル・A&Mレコードの創立者であり、同レーベル所属のロックバンド・ポリスのアルバム『ゼニヤッタ・モンダッタ』から馬名がつけられた。
経歴
デビュー前
馬主のジェリー・モス氏は、この馬の背が高くがっしりとした体格に惚れ込みセリで購入したそうだが、その後もぐんぐんと馬体は成長し、推定約550kgという超大型サラブレッドになった。
しかし、若駒のうちから馬体が大きくなりすぎたために故障がちで調教が進まず、デビューは大幅に遅れることとなった。
3・4歳(2007~08年)
3歳シーズンも終わりに差し掛かる2007年11月にようやくデビュー。
未勝利戦を3馬身差で楽勝すると、続く一般戦もコースレコードで大勝。3歳はこの2戦で終えた。
古馬となった2008年1月、3戦目でG2・エルエンシノステークス(オールウェザー・1710m)で重賞初挑戦で初制覇。
続いてG1・アップルブロッサムハンデキャップ(ダート・1710m)でG1初制覇を果たした。
そこからはまさに破竹の勢いで、走れば連戦連勝。2008年10月、この年の締めくくりとしてアメリカの最強女王決定戦であるブリーダーズカップ・レディーズクラシック(現在はブリーダーズカップ・ディスタフと改称されており、後の2021年に日本馬としてマルシュロレーヌが初制覇を果たしたレースである)も制覇。
この年、7戦7勝(G1:4勝、G2:3勝)の戦績を挙げ、文句なしのエクリプス賞最優秀古牝馬に選出された。
5歳(2009年)
約半年の休養を経たゼニヤッタは、2009年は前年も制覇した5月のG2・ミレイディハンデキャップから始動。その後、10月のG1・レディーズシークレットステークスまで2008年と全く同じローテで4戦し、すべて二連覇。もはやゼニヤッタの強さに回避馬が続出し、G1ですら6~7頭立ての状況になっていた。
この頃にはアメリカ社会で女性を中心に競馬の枠を超えた人気者となりつつあったゼニヤッタだが、一部には批判もあった。ゼニヤッタの出走レースは、牝馬限定戦のみであり、「勝てるレースだけを選んで作られた連勝記録だ」と見る向きもあったのである。
11月、アメリカ競馬の祭典ブリーダーズカップ。ゼニヤッタは前年制したレディーズクラシック二連覇に向かうかと思われていたが、直前でメイン競走のクラシック参戦を表明。トップ牡馬たちとの混合戦に挑むこととなった。
通例どおり後方からの競馬となったゼニヤッタだが、直線に向いても馬群に包囲される苦しい展開。しかし、強引に大外に持ち出すと得意の追い込みで逆転勝利、「ブリーダーズカップ・クラシック牝馬初制覇」「ブリーダーズカップ2競走制覇」を果たし、対牝馬専用という批判を一蹴してみせた。
結局、この2009年も5戦5勝(G1:4勝、G2:1勝)。2年連続の最優秀古牝馬に選出された。
引退宣言と撤回
ゼニヤッタはBCクラシック制覇を花道に引退が発表され、引退式も行われ、2連覇を果たしたG1・レディーズシークレットステークスは彼女の功績を讃えてゼニヤッタステークスと改称までされていた。
……ところが、もう引退が決まり繁殖に向け準備をするばかりのはずなのに、ゼニヤッタはいつも通りの調教をする姿が見られた。陣営はこれを「ゼニヤッタの気晴らしのためだよ」とはぐらかしていた。
年が明けて2010年、「引退すると約束したな、あれは嘘だ」とばかりに、ゼニヤッタの現役続行が発表された。……まさかやめるやめる詐欺で全米をだますつもりだったわけでもあるまいが、状態を見極めた結果もう1年いけると判断が下ったようである。
6歳(2010年)
さて、ここまでデビュー14連勝と破竹の活躍を果たしていたゼニヤッタだが、年度代表馬は4歳・5歳とも逃していた。
特に5歳時は、BCクラシック牝馬初制覇という大快挙を果たしながら、年度代表馬の座は3歳でG1を5勝した2世代下のレイチェルアレクサンドラの手に渡っていた。
となれば、競馬ファンが望むのはゼニヤッタとレイチェルの直接対決である。
運営側もファンの期待を察し、ゼニヤッタもかつて制した4月のダートG1・アップルブロッサムハンデキャップを、2010年に限り次のようにルール変更した。
- 獲得賞金額10倍。ただし、ゼニヤッタとレイチェルアレクサンドラの片方でも欠けたら、例年通りに戻す。
- 例年はハンデ戦だが、全頭同一斤量とする(このため競走名も「~ハンデキャップ」から「~招待」に変更)。
- 例年の8.5ハロン(約1710m)から9ハロン(約1810m)に距離変更。(「1600mならレイチェル、2000mならゼニヤッタ有利だ」との下馬評が強く、その中間を取った。)
- 2頭への不利や包囲が発生する可能性を下げるため、出走は10頭以内。
- 調整期間に余裕を持たせるため、例年より開催を1週間後ろ倒し。
……が、ここまでのお膳立てが整ったにもかかわらず、2頭の対決は実現しなかった。
レイチェルアレクサンドラは直前の3月ニューオーリンズ・レディース(重賞ですらない競走で、ただの調整戦のはずだった)で2着に敗れ、状態不振を理由にアップルブロッサム招待を回避してしまったのである。
結局、例年通りの賞金で行われた同レースは、わずか5頭立ての中ゼニヤッタが圧勝。結局最後まで2頭の対決は実現せずじまいだった。
その後も、クビ差の危ないレースなどもありながらも連戦連勝。
10月、三連覇を懸けて臨んだG1・レディーズシークレットステークス……もとい、昨年末の引退騒動で、この競走は既に「ゼニヤッタステークス」と改称されていた。しかし、功労馬の名を冠した競走にその馬自身が出るなど前代未聞。ゼニヤッタ陣営が「たいへん名誉なことではありますが、前の競走名で走れればと思います」とやんわり断ったことから、元の競走名に戻ることとなった(ゼニヤッタ引退後の2012年に再度改称)。
このレースも勝利して同レース初の三連覇、同時に、デビューからの19連勝という北米競馬界の連勝タイ記録を樹立した。
(もう1頭は2003年生まれのペッパーズプライドという牝馬で、19戦19勝のまま現役を終えた。ただしこの馬はニューメキシコ州の地方競馬が主戦場である。)
ただ一度の敗北、そして引退
2010年11月6日、ゼニヤッタはブリーダーズカップ・クラシックに二連覇をかけて、そして北米新記録となるデビュー20連勝をかけて臨んだ。このレースには日本からエスポワールシチーも参戦している。
いつものように、最後方からレースを進め、最終直前で猛然と追い込んだゼニヤッタだったが、4歳牡馬ブレイムにアタマ差届かず2着。初めての敗北で連勝は19でストップした。
この敗戦を最後に引退が発表された……が、ゼニヤッタは昨年同様引退発表後もいつも通りのトレーニングを継続したため、「また引退撤回するのではなかろうか?」とマスコミに訝しまれていた。結局撤回はなく、今度こそ引退。
3年連続の最優秀古牝馬受賞とともに、三度目の正直で2010年エクリプス賞年度代表馬に選出された。
G1競走13勝、北米の牝馬最多獲得賞金(730万4580ドル)などの記録を打ち立て、現役を退いた。
引退後
引退後は繁殖牝馬となった。2016年、アメリカ競馬殿堂入り。
産駒は競走登録出来たのは現時点で4頭のみ。産駒は母の体格の良さ受け継ぎ、身体が大きいために故障しがちで中々良い成績を残せていない。また難産となって死産や産後直死も複数回経験するなどなかなか難儀な母親生活を送っているようだが、ゼニヤッタ自身は元気であるようだ。
2023年を以て繁殖牝馬を引退。引退後は繋養先で功労馬として過ごすようである。
また、今年生まれのウォーフロント産駒の牝馬がラストクロップとなる。
余談
気質
レース時はその大きな馬体とともに、下方の視界を制限しレースに集中させるための白いシャドーロールもトレードマークとして知られた。
かの伊達政宗公曰く「名馬ことごとく悍馬より生ずる」(かんば、気性の激しい馬)という格言もあるほどだが、普段のゼニヤッタは人なつこく大人しい性格らしい。
馬体重について
およそ1200ポンド(544kg)あったというゼニヤッタだが、アメリカでは日本のように細かく馬体重を計測して発表する習慣がないので、正確な最高馬体重は不明である。
これは日本の例と比較するなら、でかすぎGⅠ馬として知られるヒシアケボノのスプリンターズステークス制覇時の馬体重560kgには劣る。
しかし、ゼニヤッタは牝馬であることを考慮せねばならない。
日本の屈強な牝馬の例でいえば、牡馬顔負けのムキムキ馬体で知られたウオッカやダイワスカーレットでも490kg前後、アーモンドアイは現役を通じ馬体が成長を続けたが最終的にはやはり490kg。
重賞を勝った重量牝馬の例ではバウンスシャッセの540kg(2016年・GⅢ愛知杯)があるが、これらに比してもやはりゼニヤッタの馬体と活躍ぶりはデカすぎる。
人気
最終直線でドでかい馬体を揺らし、猛然とした追い込みで全頭ぶっこ抜くという豪快なレース振りと、「どうせ対牝馬専だろう」という批判を一蹴し一流牡馬たちもなぎ倒してみせた強さから、アメリカでは強き女性の象徴として特に女性ファンが多い。
その人気ぶりは競馬の枠を超えており、米AP通信社の選ぶ「今年の女性アスリート」ランキングで2009年・2010年の2年連続で2位に選ばれている。なお、2009年の1位はテニスのセリーナ・ウィリアムズ、2010年の1位は同年のバンクーバーオリンピック金メダリストのスキーヤーであるリンゼイ・ボン。
当たり前だが、ランキングに人間以外が登場すること自体が超異例のできごとである。