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61式戦車(陸上自衛隊)の編集履歴

2023-07-03 16:01:43 バージョン

61式戦車(陸上自衛隊)

ろくいちしきせんしゃ

61式戦車とは陸上自衛隊に於いて、アジア初の純国産戦車として開発された第1世代主力戦車である。

初の国産MBT

61式戦車

戦後第一世代に属する日本の主力戦車。それまで配備されていたアメリカ製戦車に代わる戦後初の国産戦車である。製造は三菱重工。1955年に開発が開始され、61年に正式採用された。開発理由として、自衛隊に供給できたアメリカ製戦車は朝鮮戦争などで使い古された中古品である上、第一線級のM47/48中戦車はヨーロッパへ優先的に供与された故に日本国内で供給が絶望的であり、また国内鉄道輸送インフラでの運用が不可能であった事、根本的にアメリカ人と日本人の体格の違いなどから扱いにくく、国産戦車の開発が求められていたからである。


産みの苦しみ……第1世代主力戦車として最後発

開発当時は、旧大日本帝国陸軍で戦車開発の中枢にいた元将官・元佐官が多数存命していたが、この主力戦車に求めた性能は、主武装を長砲身76㎜砲とし、全備重量を25tに収めるというもので戦中に開発されていた四式中戦車や自衛隊にも配備されたM41と同程度である。

しかしこの25t案は、かつての太平洋戦争でサイパンやフィリピン、ノモンハンなどで地獄を見た元尉官含む戦車師団出身の旧軍経験者、1930年代中盤生まれ以降の防衛大学校卒第一世代ら戦中非軍歴保持者が増加しつつあった機甲科幹部より猛反発を招く。

一方、小さく数をそろえる事を優先する旧軍出身者や事務方にバカ受けであり、重量を巡る議論が延々繰り返された結果、運用現場の隊員から意見を聞く事になる。


肝心のその意見はどうだったのかと言えば……。


”車高が高く、装甲が薄く、これでは本分を果たす前に小火器の餌食になってしまう”


と暗澹としたものであった。


それに加えて朝鮮戦争で85㎜砲搭載の北側T-34に対し、75㎜砲を搭載したM24は全く歯が立たず、逆に90㎜砲を搭載したM26が圧倒したという戦訓を現場側が強く主張した事もあり、重量を軽くしろと怒鳴る官僚を押しのけて25t案は早々に捨てられ、主砲は90㎜砲搭載、それに見合う車格を考慮し、30トン、その後度重なる変更を経て35t級へ変更された。


喪失したノウハウを何とか切り貼りして・・・

当時の日本には戦前の軍用車両製造のノウハウが失われて久しく試作車開発は難航し、四式中戦車のブレーキ設計を引っ張り出したり、変速機構の一部に同戦車の設計を流用する等苦心を重ねた結果、最終的には、M26パーシングを国内技術で構築したような車両として完成したのであった。


その主砲は国産の52口径の90ミリライフル砲であり、砲身が延長されているほか、当時開発された弾薬に対応できるよう砲全体、特に薬室の強度が増強されており、M48と弾薬は共有化されているが、その威力は原型砲の50口径のM3(90㎜)戦車砲と比して格段に向上していた。(後の調査ではT-55の100㎜砲と同程度と言われている)照準器も当時としては標準的なステレオ式照準器を搭載し、1000m以遠での命中精度も良好だったらしく、少なくとも戦中戦車よりも強力な戦車には仕上がったのである。


国産戦車の系譜、守り切られる

61式戦車は、其の採用後から我が国の国是により一度も実戦に参加することなく2000年に退役したが、それでも、後の74式、90式、10式と世界でも戦車の新規開発が珍しくなっている中、ほぼ20年スパンで新規開発が行われる礎を作った。

また、30トン級戦車を大量生産・配備するノウハウを日本は本車で初めて取得したこと(戦中に30トン級戦車を大量配備するためのインフラも能力も構築はできなかった)で、国内機甲戦力の拡充にも大きく寄与している。


2019年にはヨルダンに”貸与”され、戦後歴代戦車で初めて他国の博物館に飾られる栄誉に浴した。


登場作品

World_of_Tanks(ゲーム)』・『World_of_Tanks_Blitz(ゲーム)』

61式戦車第1次試作車第1案(試作特車A-1型)が日本Tier8中戦車STA-1として、61式戦車が日本Tier9中戦車Type 61として登場している。


Warthunder(ゲーム)』

正式採用された61式戦車、およびそれに至るSTA-1、STA-2、STA-3の各試作車がランク4、BR6.3からBR6.7に実装されている。


りっく☆じあ〜す(ゲーム)』

主兵装として、61式52口径90mmライフル砲を装備している。また、第6戦車大隊Verもあり、こちらは主兵装以外に補助兵装1に12.7mm重機関銃M2を、装甲に増加装甲(鉄)を装備している。


ぼくらの七日間戦争(映画)』

原作小説ではなく映画版で登場。生徒達が立てこもった廃墟の地下室に何故か一台だけ存在した。廃墟自体が国有地であるらしいが、防衛庁(現・防衛省)の関連施設だったからなのかは不明。当初は実弾も装備されていない動かぬ鉄の塊にすぎなかったが、一部生徒達が修理をコツコツとしていた事が功をなし、自走するまでに至った。(重箱の隅的に言えば、本来チェーンブロックなどでジャッキアップしなければ持ち上がらないエンジンパネルが子供の力で持ち上がってしまっている。)


さとうきび畑の唄(ドラマ)』

米軍の戦車として登場。車体の前面に白い星の記章が描かれている。


これらの映画・ドラマなどに登場した61式戦車は、「戦国自衛隊」撮影用大道具として、精巧に作られた実物大可動レプリカであり、通称「角川61式」と呼ばれる。無論装甲は持たないため外板は薄物の鉄板である。現在でも前述のようにドラマなどで手軽に大戦期の戦車の代役とされたり、見た目のインパクトから広告やイベントで客寄せ用に駆り出されることもある。


東宝特撮映画

言わずもがな怪獣映画における自衛隊の戦車の代表格。『モスラ対ゴジラ』(1964年)から『ゴジラvsモスラ』(1992年)まで長らく登場した。

もちろん昭和ガメラシリーズや『宇宙大怪獣ギララ』、『大巨獣ガッパ』など他社の怪獣映画にも登場している。

東宝における撮影用模型はそれまで登場していたM24の足回りに、試作車であるSTA-4をモデルにした模型の車体を被せているため転輪の数が一組足りず、砲塔上の重機関銃がキューポラと一体型になっている。


コンバットチョロQ(ゲーム)』

初代PS「コンバットチョロQ」とPS2「新コンバットチョロQ」に登場。

「コンバットチョロQ」では作戦30「死の谷の攻防」に登場。落下の危険がある暗い谷で本車を含めた多くの敵の攻撃からアンテナを守り切るという難しいステージであり、マウスの次に難しいステージとも称される。

「新コンバットチョロQ」では「ボルゾル徹甲部隊」でボルゾル元帥配下の精鋭部隊の一員として登場。他の自衛隊戦車は主砲と装甲の強化のみが施されているのに対し、本車はフライングシェルやミサイルなどの遠距離武器を搭載し遠距離攻撃を仕掛けてくる強敵になっている。



関連イラスト

旭日の戦車隊センシティブな作品河童による61式運用試験中の一コマいつも無双してるから昭和の対怪獣戦車陸上自衛隊  61式戦車61式戦車61式戦車


関連タグ

陸上自衛隊 74式戦車 90式戦車 10式戦車

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