鳥海(列車名)
ちょうかい
歴代の列車「鳥海」の概要
初代(夜行客車急行)
1950年12月改正で上野駅~秋田駅間を東北本線・奥羽本線経由で運行する夜行客車急行401・402列車に「鳥海」と命名されたのが始まり。6年後の1956年11月、運行区間を青森駅まで延長し「津軽」に改称され消滅した。
ちなみに「津軽」は国鉄時代末期以降は583系や485系が用いられ、1990年からは山形新幹線の工事に伴い福島駅~山形駅間を東北本線・仙山線経由に変更されたが1993年に臨時格下げとなりのち廃止された。
2代目(昼行客車急行)
前述の1956年11月改正で新たに上野駅~秋田駅間を東北本線・奥羽本線経由で結ぶ昼行客車急行に命名。上野駅~福島駅間は仙台駅発着の「青葉」に併結、1961年10月から併結相手が常磐線経由から東北本線経由に変更された仙台駅発着の「みやぎの」に変更された。
1962年10月からは「みやぎの」が451系電車化されかつ単独運転となり併結を解消、新たに喜多方駅発着の「ばんだい」を上野駅~郡山駅間で併結した。しかし、1965年10月改正で「鳥海」は「たざわ」に、「ばんだい」は特急に格上げされ上野駅~山形駅間の特急「やまばと」の会津若松編成になり消滅した。
余談だが「たざわ」は1968年10月改正で昼行気動車急行「おが1号」となり4代目「鳥海」である昼行特急が不定期化された1985年3月で廃止された。
3代目(昼行気動車急行)
前述の1965年10月改正で新設された上野駅~秋田駅間(新潟駅経由)の昼行気動車急行に命名。以後の「鳥海」は、名は体を表すとはこのことか、より鳥海山に近い羽越本線を走行する列車の愛称に用いられるようになる。上越線内では同線を走る特急「とき」や急行「佐渡」、羽越本線内では特急「白鳥」を補完した。1971年8月から昼行の「鳥海1号」は只見駅発着の臨時急行「奥只見」、翌1972年3月改正では柏崎駅発着の急行「よねやま」も併結し三層建ての列車となる。上野駅~小出駅間は最大14両の威容を誇り小出駅と長岡駅で分割併合を行った。しかし同年10月改正で上野駅~秋田駅間の気動車特急「いなほ」が電車化され増発したため「鳥海1号」は運転区間を新潟駅~秋田駅間に変更して「羽越」に改称、「よねやま」と「奥只見」は単独運転となりどちらも経路を変更して存続した。なお「羽越」は1982年11月、「よねやま」は1985年3月、「奥只見」は1988年3月に廃止されている。
もう一つの3代目(夜行客車急行)
「ヨン・サン・トオ」こと1968年10月改正で上野駅~秋田駅間(水原駅回りで新潟駅を経由しない)の夜行急行「羽黒」を「鳥海」に改称し編入。この改正で夜行はこの定期1往復のほかに臨時も設定し多客期は夜行2往復となる。1972年10月改正では夜行の臨時列車1往復は上野駅~新潟駅間の夜行急行「天の川」が白新線を経由して秋田駅まで延長されたことにより削減、先述のように昼行も廃止されたため「鳥海」は旧「羽黒」の夜行1往復のみとなる。その「鳥海」1往復も東北新幹線・上越新幹線が部分開業した1982年11月改正時に格上げされ特急「出羽」となり消滅…したのだが11年後の1993年、今度は「出羽」が5代目「鳥海」に統合され消滅する。
4代目(昼行電車特急)
先述の1982年11月改正で上越新幹線大宮開業後、特急「いなほ」の発着駅を新潟駅として上野駅発着の1往復を「鳥海」に改称して「いなほ」から分離した。この4代目は、上越新幹線が上野駅に乗り入れた1985年3月のダイヤ改定で不定期化の上、秋田駅~青森駅間を廃止、さらに1987年4月の国鉄の終焉とともに、JR東日本に引き継がれることなく姿を消した。車輌は485系が使用されたが不定期化の直前には、583系が代走したことがあった。
5代目(寝台特急)
「鳥海(JR東日本)」の項目を参照。