曖昧さ回避
概要
1964年から1985年まで上野~山形・会津若松を東北本線・奥羽本線・磐越西線経由で走っていた特急列車。
本数は全盛期でも3往復と少ないが、L特急制度が始まったのちの
当初はキハ82系による気動車特急であったが1965年に会津若松発着の編成を追加連結したために食堂車を連結する余裕が無くなったため、国鉄の定期特急としてはひびきに続いて食堂車がなかった特急となっていた。
1967年に磐越西線の郡山~喜多方間が電化、1968年9月には福島~山形間も交流電化されて485系電車化されたことから食堂車復活となった。この際に会津若松発着のやまばとは「あいづ」に改名されて、やまばとは山形発着のみに戻った。
1982年には東北新幹線開業に伴い1.5往復に減少し再度食堂車が廃止、そして1985年東北新幹線の上野延長とともに列車廃止となった。