国鉄時代、上野駅から北東北に向かう急行や特急の愛称。由来は東北地方を指す「みちのく」
列車名としての「みちのく」の概要
登場当初から最後まで途中中断があったり別系統の列車もあったものの、基本的には上野駅~青森駅間を常磐線経由で結ぶ列車というイメージが強い。
客車急行「みちのく」
1950年10月のダイヤ改正で北海道連絡を主な使命とし、常磐線経由で上野駅~青森駅間を結ぶ201・202急行列車が誕生。無名だったが翌11月に「みちのく」の愛称を与えられた。
「みちのく」は、青函連絡船を介して函館駅~札幌駅~網走駅間の急行「大雪」に接続し、上野駅~札幌駅間を直通するための一等寝台車マイネ40形が連結されていたがこれは翌1951年5月には中止された。なお、1954年10月からは同じ目的でマロネ29形を連結する計画だったが、同年9月に津軽海峡で発生した洞爺丸事故の影響で実現しなかった。
1958年10月、同区間に特急「はつかり」が運行開始した影響で「みちのく」は定期列車としては上野駅~盛岡駅間に短縮されたが1961年3月には再び青森駅まで延伸された。
1965年10、気動車による「第1(上りは第2)みちのく」増発によりこちらは「第2(上りは第1)みちのく」となる。
1968年10月、「第2(第1)みちのく」は「十和田1・1号」となり廃止。
気動車急行「みちのく」
1965年10月、新たに上野駅~大鰐駅(現大鰐温泉駅)・鳴子駅(現鳴子温泉駅)間を結ぶ気動車急行「第1(上りは第2)みちのく」が増発された。途中、盛岡駅まで併結され大鰐編成は花輪線と奥羽本線を経由し大鰐駅を目指し、鳴子編成は東北本線をさらに直進し古川駅から陸羽東線に入り鳴子駅に至った。
道中でも他の列車と分割併合を繰り広げており非常に複雑な多層建て列車として知られた。
1967年10月、「第1(第2)みちのく」の大鰐編成を弘前駅まで延長し、改正前は急行「陸中」だった盛岡駅から山田線に入り宮古駅へ向かう編成も併結したため運行区間が上野駅~鳴子駅・宮古駅・弘前駅間となる。
1968年10月、「第2(第1)みちのく」が「十和田」に編入され「みちのく」はこちらのみになる。
1970年10月、廃止。
特急「みちのく」
1972年3月、旧「みちのく」の急行「十和田1・1号」が583系電車化かつ特急に格上げされ愛称は再び「みちのく」となる。なお、常磐線経由の上野~青森間の昼行特急としては1958年から1968年まで同線を経由していた「はつかり」に次ぐもの(1968年に東北本線電化完成により東北本線経由に変更)。
1982年11月、東北新幹線大宮開業の際におけるダイヤ改正で仙台駅~青森駅間を廃止し「ひたち」グループに編入され「みちのく」は廃止された。
余談
なお東北新幹線開業時に愛称募集での1位は「みちのく」であったが、列車名として使われることはなかった(採用されたのは「やまびこ」「あおば」)。2011年の新青森駅延伸開業時に最速列車の愛称募集した時も3位であったが、またしても使われることはなかった(採用されたのは「はやぶさ」)。
採用されなかった理由として開業当初から東北新幹線の北海道延伸を視野に入れていたこともあり東北色が強すぎたことや超特急のイメージにそぐわないからではないかと言われているがJR東日本による公式見解が出ていないこともあり真相は不明。
なお、1990年・91年の多客期において14系座席車を使用した臨時急行「みちのくふるさと」が上野駅~青森駅間で運行されている。
関連タグ
583系…特急時代の使用車両