どいつもこいつも狂ってやがる
概要
北野武原作の歴史小説。2019年発表。KADOKAWAより出版。
2023年に映画化。北野武自身が監督を務め、羽柴秀吉役としてキャストに名を連ねている。
30年前から構想が練られ、黒澤明にプロットを見せたところ「面白そう」と褒められた。
「戦国版アウトレイジ」の様相だが、その実態は戦国武将をどうしようもない一人の人間として描き、騙し合い・裏切りに合いながらも戦国時代そのものを茶化すブラックコメディである。北野映画らしいバイオレンスや残虐描写は健在で近年美化された歴史モノに対するアンチテーゼの側面も持ち合わせている(逆に言えば、高い製作費をかけ、名優達がシリアスな演技をしてるが、出来上がったものは登場人物が誰1人格好良く描かれていない「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」的な不条理コメディとも言えるが)。
なお、下記の登場人物・キャストをみれば判るが、役名やマトモなセリフがある女性キャラはほぼ0である。その代りに男色や男同士の嫉妬が話の上で重要な要素となっている(が、その描かれ方は「日本を代表する名優達が大真面目に馬鹿をやってる」「ツッコミ所満載の脱力系ギャグをシリアスな演技でやっている」的なもの)。
本作では何のシーンのテロップは一切ない。本能寺の変の1582年前後の知識があるとより楽しめるだろう。
あらすじ
時は戦国時代。羽柴秀吉と千利休に雇われ、謀反人と逃げ延びた敵を探して各国を旅する曽呂利新左衛門は、信長に反旗を翻した荒木村重を偶然捕らえる。一方、丹波国篠山の農民・茂助は播磨へ向かう秀吉の軍勢を目撃、戦で功を立てようと軍に紛れ込むのだが…。
信長、秀吉、光秀、家康を巻き込み、荒木村重の首を巡る戦国の饗宴が始まり、それはやがて本能寺の変へと繋がっていく。
登場人物及びキャスト
- 羽柴秀吉:ビートたけし(北野武)
「俺は百性だよ!」
「俺が天下取ったらあいつらみんな消えてもらう」
庶民出身≒現代人である観客に近い感性の持ち主として描かれ、男色や切腹のような「武家にとって当り前」の事を「自分には理解不能な奇習」と見做しているフシが有る。
ある意味で、登場する戦国武将達の大半が囚われている「ホモセクシャルと区別が付かないモノとして、極めて露悪的に描かれた男同士の友情や主従関係」の呪縛から自由な人物とも言える。
だが、かと言って、少しも善良でも頭脳明晰でもなく、自己中心的かつその事を隠す気すらない「無神経さや開き直りもここまで来れば一種の邪悪さ」というべき男。
「これは……天命だと思うか?」
本人は何から何までいたって大真面目な人物だが、そのせいで逆に、本作を羽柴秀吉がツッコミ役のコメディ映画として観た場合には「最大のボケ役」「自分がボケ役だとさえ気付いていない究極の大ボケ役」とも言える。
「皆殺しに決まっとるがよぉ!」
「人間生まれた時からすぅべてが遊びだわ!」
「第六天魔王」「悪のカリスマ」……の皮を被ってるだけの現代で喩えるなら「人間として薄っぺらいブラック企業の経営者」「『アウトレイジ』シリーズや1970年代の『実録系ヤクザ映画』に出て来そうな、やってる事は極悪なのに変な所でマヌケな暴力団組長」。
羽柴秀吉のように「農民から大名や侍大将に成り上がる」事を目指しているが基本的に馬鹿。
最初に参加した戦闘で、手柄の為にとんでもない真似をするが、その事を心の奥底では気に病んでいるフシも有る。
- 曽呂利新左衛門:木村祐一
お調子者の抜け忍であり、秀吉や利休の元で諜報活動・便利屋をやっているが、現代でいうなら落語家・芸人が表の顔。
羽柴秀吉と並んで、劇中で起きる様々な事態に観客が入れたくなるであろうツッコミの代弁者と言える。
- 荒木村重:遠藤憲一
本作における、いわば「人の姿をしたマクガフィン」。
演者である遠藤憲一は、かなりシリアスな演技をしているが、困った事に行動原理のほぼ全てが色ボケと嫉妬(ただし男色)にしか見えない。
史実でも実在した織田信長の黒人の家来。
なにげに、話の要所要所で重要な役割を果たすが、にもかかわらず「古臭いステレオタイプな黒人描写」から外れている点がほぼ皆無、という良くも悪くも本作がどんな作品かを象徴する登場人物。
信長の同盟者だが、信長からは秘かに「腹が読めない危険人物」と見做されている。
なお、史実における「側室にやたらと未亡人が多い」はブス専に翻案されている。
- 千利休:岸部一徳
外部リンク
・ホームページ
https://movies.kadokawa.co.jp/kubi/