概説
歴史的に、「魏志倭人伝」では、「倭国(日本)に牛馬はいない」と書かれており、この時代の日本(魏と交流のあった地域)では、牛はいなかったらしい。ただ、日本書紀では、ヤマトタケルが東征の折、弟猾なる者が天皇一行を持て成した折に「牛酒(ししさけ、牛肉と酒)」を献上したという場面がある。これが史実かどうかは不明だが、少なくとも、日本書紀が成立した時代(歴史学での時代区分では奈良時代)には、牛肉を食べる習慣があったと推察できる。
ただ、牛が農耕用として貴重な労働力とされていた日本では、明治になるまで、あまり食べられることはなかった。しかし、栄養価の高さは古くから知られており、一種の「薬」として食べられていた。
関西人は牛肉を好み、近畿地方では単に“肉”と言えば牛肉を指すくらいポピュラーであるが、日本のその他の地方では鶏肉や豚肉に比べ消費が少ない。すき焼きが豚肉で作られることも多々ある。近畿で牛肉が好まれるのは、江戸期まで近畿周辺で使役に使われるのは動きは鈍いが力がある牛が多く、その肉を食べる機会も多かったためである(東日本などでは力は劣るが、機敏に動ける馬が使役として好まれた。特に東日本は春が比較的遅く来るため諸作業を農繁期に間に合わせるために早く作業をする必要があった。明治以降は東日本では馬より肥育しやすい豚がメジャー化していった)
稀に状態の良い廃牛(乳牛を引退した牝牛)も肉として紛れ込み、そうした肉は「乳臭い」独特の風味を帯びていることが多い。
豚肉と比べ歯ごたえがある(固めの)部位が多い。アメリカでは赤身の肉が好まれ、日本では赤身に適度の脂肪が混じる「霜降り」が好まれる。
栄養価としては良質なタンパク質のほか、ヘム鉄の多さから造血作用と鉄分補給に優れている。
基本的には脂肪分も少ないので、妊婦・胎児の栄養供給にも向くとされる。
また脂肪燃焼を促進する酵素「カルニチン」を含むため、「脂肪分の少ない肉」を「適量で摂取すれば」ダイエット中のタンパク源にもなるという。
このほか牛肉を摂取すると、生活リズムの調整や精神安定に必要なセロトニンが多く分泌されることが分かっており、心身の健康維持にも一助するとみられている。
日本の牛(和牛)の肉は高価であるが、その柔らかさに定評があり、高級食材として輸出されている。かのコービー・ブライアントは「神戸牛(kobe beef)」からその名をつけられたことは有名。
逆に赤身肉好きには値段の割にそれほどということも多い(後述)。
日本において、牛・豚・鶏の三大畜肉の中では、最も早い時期からブランド化が進んだ肉でもある。
三重県の松阪牛、兵庫県の但馬牛(神戸牛)、山形県の米沢牛、滋賀県の近江牛、岐阜県の飛騨牛等が特に有名だろう。
現在でも多数のローカルブランド牛肉が研究開発され、地方観光の目玉として期待されている。
赤身vs霜降り
2010年あたりを境に、それまで「霜降り礼賛」だった日本人の牛肉の好みにも変化が出始めた。
そもそも日本人が霜降り肉を好むのは、刺身と食感が似ており、明治時代の文明開化より牛鍋やしゃぶしゃぶなど鍋料理の主役として重宝してきた背景がある。
薄切りにすれば火の通りが早く、また一度に提供する量は店側の裁量で調整しやすくなる。そしてこれまで脂肪分の少ない食事だった日本人にとって、「脂の乗った肉」は最高のご馳走であった。その両方の需要が合わさることで、日本人の畜肉の好みは脂の乗り方に重点が行くようになった。
しかし西洋では「赤身こそ至上」であり、焼いても固くならない極上の柔らかさを持つ赤身こそ質の良い牛肉の条件といわれる。
もちろん海外における日本食ブームにより、和牛の霜降り肉の評価は高いものとなったが、一方で昔ながらの赤身好きも健在で、さらに世界的な健康ブームにより動物性の脂肪が嫌厭される風潮もあって、赤身肉の価値が再補強されるようにもなった。
そして日本でもかつて霜降り肉に踊り沸いていた世代が徐々に高齢化したことで、脂の乗った肉に対する抵抗感が増し、逆に赤身に対する安心感を求めるようにもなった。
また畜産業界でも「赤身肉の美味しさの追及」に乗り出す生産者やバイヤーが増加し、「肉≒脂」という価値観に一石を投じようとする動きが盛んになっている。