概要
牛の字が入っていることからもわかる通り、牛肉を食材として使用している。
歴史
鍋文化の中でも様々な面で特徴的な料理で、食生活という観点からみた場合、日本食文化の大きな転換点となった料理。
日本は仏教文化が流入して以降、主に魚肉と野菜を中心とした菜食主義的な食生活が中心となった。
それでも「全く無かった」というわけでもなく獣肉食の文化自体は狩猟職や山間部の村落の間に存在しており(昔話「カチカチ山」に肉鍋の描写がある)、猪肉を調理した牡丹鍋、馬肉を調理した桜鍋、鹿肉を調理した紅葉鍋、また、兎や鶏など、様々な動物を調理した料理自体は存在した。
ただ、表面的にはそれらの獣肉食は禁忌とされ、動物を食べるときは『薬食い』と称され、治療のための滋養強壮に必要だから食べていると言う言い分を使っていた。
そんな中、明治時代に入った日本は、当時の先進国であった欧米に負けないための政策の一環として、獣肉食の解禁を推奨した。
そうしてできた料理が牛鍋である。
当時の日本人にとって牛鍋というのは相当にインパクトのある料理で、単なる料理という以上に、文明開化の象徴として扱われており、当時の代表的な病気である脚気の対策としても推奨された。
また、夏目漱石も自身の小説の中に登場させたりもしており、様々な文献で牛肉食について言及をされていることからも、これが当時の日本人にとってどれほど大きなインパクトを持っていたかがわかる。
しかし、明治時代を通して徐々に日本人に牛肉食そのものが定着していくにしたがって、徐々にその存在感は小さくなり、もう一つの牛肉料理であるすき焼きの方が日本の牛肉料理として定番となっていくことになる。
すき焼きとの違い
二十一世紀初頭の日本ではあまり聞かなくなった牛鍋だが、すき焼きのルーツの一つとなっており、いわゆる関東風すき焼きはこの牛鍋が基になっている。
その為、上記の歴史で、すき焼きの方が日本の牛肉料理の定番となったと書いたが、正しくは牛鍋はすき焼きと合流したと書く方が正しい。
現代のすき焼きが醤油ベースの「割下」を使っているのに対して、草創期の牛鍋は味噌で味をつけていたのも大きい。
pixivでは牛鍋を食べている人物やキャラクターの食事中の様子を描いたイラストにこのタグを入れて投稿されている。