曖昧さ回避
ゴムの張力で射出する武器については、スリングショットを参照。
解説
本来はゲームの一種。数多くの釘が打たれている板にパチンコ球を入れ、それを弾いて遊ぶ。球が飛び出さない様、表面にガラスが張られている。
最近ではパチンコの内部にデジタル表記のスロットシステムを組み合わせたタイプが主流になっている。
意外と歴史は古く、パチンコ台が日本に現れたのは1925年頃で今の様なパチンコ店が現れたのは1930年代であるという。第二次世界大戦で一度消えたが、戦後に復活した経歴がある。
スマートボール(コリントゲーム)と似ている点が多くそこから日本で生まれたとされていたが、どうやらヨーロッパで生まれた球弾きゲームの「ウォールマシン」が源流である様子。
今現在では日本公式のギャンブルともいえる。
pixivで投稿される作品イラストに「パチンコ」タグが付与されたものが多いのは、漫画・アニメキャラクターとタイアップしたものが多いためである。
(それより前には芸能人とタイアップした物が多かった。漫画・アニメが多くなったのは北斗の拳や新世紀エヴァンゲリオン、創聖のアクエリオンの影響が大きいのかもしれない)
ちなみに、パチンコ・スロットのイメージキャラクターが漫画・アニメ化してメジャーになったケース(Rio、吉宗、海物語等)も存在する。中には戦国乙女やモモキュンソードのような変化球もあるが……。
なお、日本におけるギャンブルとしてのパチンコは、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風営法などと通称される)の「風俗第四号営業」として法規制がなされている。パチンコ店における「満18歳未満の者は入店不可」「午前0時から朝6時までの営業は原則不可」などの規制は、風営法の規定に基づくものである。
遊び方
パチンコ球を入れる大きな穴にパチンコ球を入れる。パチンコ屋ではパチンコ台真横の機械にお金を入れて、パチンコ台の玉貸しボタンを押すと球が出てくる。
右下のハンドルを回せば球が打たれる。台の真ん中にある穴(スタートチャッカー)に球が入ると画面の数字が回転する。
数字が3つ揃えば大当たり。大当たりのみに開く大きな口(アタッカー)に球を入れる。台に球が増えたら、ドル箱(パチンコ球を入れる箱)に移す。(最近ではドル箱の無い店もある)。
遊び終えたら店員を呼んで、球を数えてもらう。その後、球数の書かれた紙が貰えるので、カウンターで景品と交換する。遊んだ人間が勝った負けたと一喜一憂するのは投資額と景品の金額との差額。
90年代から2000年代初頭には通常当たりは1回交換というルールを設けた店もあった。これはかつてあった打ち止めの名残だとされる。
「三店方式」を採用している所ではパチンコ店の近くに景品と現金を交換してくれる店舗がある。
日本では開店に厳しい査定のあるカジノと異なり「あくまで別店舗である」という抜け道を使っている為に捜査の手も緩く、よほどの事がない限り取り締まりの対象にならないグレーゾーンである。
種類
チューリップ台
現在ではほとんど見かけない台。チューリップと呼ばれるところに玉が入ると羽根が開いて次の玉が入りやすくなる。開いた状態でもう一度入ると閉じる。盤中央にある役物で当たりに入ると全てのチューリップが開いて何回かその状態が繰り返される。一番スマートボールに近い。
一発台
上記のチューリップ台の釘調整によって当たり時に特殊な打ち方でより玉を増やせる台。
厳密には一発台というジャンルがあるわけではなかったりする。規制により一発台にできないようになったが、現在のシステムで擬似的に再現する台がある。打ち止めのルールがないと釘調整が最良だった場合は終日大開放状態である為、現在の一発台要素のある台は連チャンが一回まで等設定されている。
羽根物台
盤面下部にある「1」「2」と書かれた入賞口に玉が入るとその数字の回数だけ役物の入口の羽根が開く。
役物に入って当たりにたどり着くと大体三つあるラウンド数(概ね2R・7R・15R)が抽選されて羽根が開放されるラウンドが決まる。当たりまでの過程がアナログであり、パチンコの真髄とまで呼ぶ人もいる。
ちなみに最低ラウンドでの出玉は概ねタバコ一箱分程。現在ではかなり減少傾向にある。
セブン機
一般的にパチンコと言えばこれ。数字や図柄が揃えば当たりのヤツである。大体ミドル・ライトミドル・甘デジの3種類の確率別に台がある。
珍古台
規制の変更等でホールから消え、レトロに分類される台を「珍古台」と呼ぶ。この珍古台を現在でも遊べるある意味博物館みたいなパチンコ店があるが、厳密に言うとその手の店は風営法においては「5号営業」すなわちゲームセンター扱いである。通常のパチンコ店は「4号営業」にあたる。当然だが、ゲームセンターのメダルゲームのように出玉を5号営業では景品交換する事はできない。
小話
昔は1球1球手で打っていたので、手打ち台と呼ばれる。またカウンターや両替機みたいな機械で球を貸りていた。漫画『三丁目の夕日』といった昭和レトロ作品でしばしば登場。
実を言うと、現在も存在するパチプロとは違いこの手打ち式の頃こそ本当の意味でのパチプロがいた。こういう事もあって電動式に代わったと言われている。
実は現在のパチンコに繋がる革命を起こしたのは「正村ゲージ」と呼ばれる特徴的な釘配列のパチンコ台が画期的だった事である(メイン画像参照)。ハカマ釘等を導入したり、それまで等間隔にしか盤面に打ち込まれてなかった釘を変化を付けた釘配列にしたところ人気を呼んだのである。
現在のパチンコ台はほぼ全て特に振動・磁石対策がされており、スタートチャッカー付近等で振動や磁石を検知すると大音量のエラー音が鳴り遊技がストップする。特に磁力の強いネオジム磁石は確実に反応するらしい。
※実際に磁石を検知するとどうなるかを実証・解説している動画。
当然ながら実店舗では絶対にやらないように。出禁ならまだしも警察に突き出される可能性が高い。
パチンコの看板に関する笑い話…というか下ネタだが、パチンコのネオンでパだけ点灯しない事が往々にしてある。
ヤッターマンの実写版映画でも「ジャンボパチンコ」の看板でパだけ消えて大変な事になるというシーンが描かれた。
これにはちゃんとした理由があり、パは曲げて丸い部分を作るという形状の関係上、壊れやすいという特性がある為、こうなってしまうらしい。決して宣伝目的とか笑いを取るためにやっている訳ではないのだ…多分。
パチンコと言えば「釘調整」も有名だが、実の所コレは実質的に黒に近いグレーゾーンである。例えばあからさまに釘を曲げるのは御法度であり、発覚すると警察からの指導が入る。実際、2022年にとあるホール並びに釘師養成学校なるものが摘発されている。
と、いう事で「釘調整」はあくまでも遊技によって釘配列が歪んだといった理由でメンテナンス名目でやっているという建前で行われるのが実情である。パチンコ機に設定機能が付いたものがあるのはこういう実情もあるらしい。
韓国のパチンコ事情
韓国では2000年頃からメダルチギ(韓国版のパチンコ)が流行し、ギャンブル中毒による破産や自殺などが深刻な社会問題となったが、2006年8月に全面禁止となった(なお、韓国のメダルチギはパチンコ玉を使わずメダルを使うなど日本のパチンコと厳密には異なるもので、日本のパチンコより過激で射幸性の高いものが多かった)。この事情は、若宮健のエッセイ『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』(祥伝社新書)に書かれているが、この本には事実誤認なども多いため注意が必要である。
また、北朝鮮ではどういったルートで渡ったのかは不明だが外国人向けに日本のパチンコ台で遊べるところがある。ただし、こちらは景品はカップ麺やお菓子等にしか交換できない。
パチンコメーカー一覧
()はブランド名または子会社。
パチンコ都市伝説
よく「パチンコ店は戦後の混乱期に駅前一等地を占領した在日朝鮮人によって営業されていて、その売上は北朝鮮に送金されている」という都市伝説がまことしやかに囁かれ、一部の右傾過激思想を持つ日本人によって、特にWebが普及してから執拗に攻撃されるようになった。
が、その真偽はどうあれ、この頃にはそんなことはどうでも良くなっていた。
と言うのも、「鉄道駅前一等地に存在する非チェーン型の店舗」なるものは日本の急速なクルマ社会化についていけなくなり、それはパチンコ店でも同じだからだ。
これに日本のバブル崩壊、アメリカ発のサブプライム・ショック(リーマンショック)と2波に渡る経済恐慌は、ロードサイド大規模店の優位性を高めどすれ下げることはなかった。不景気の中でも軽自動車はアホみたいによく売れた。
さらにそれ以降のパチンコ台の多機種展開化・エンターテイメント性の強化で、フロア面積の狭い駅前店舗は、駐車場も満足に確保できず、ますます不利になるばかりだった。一方、非チェーン系のロードサイド店も、この頃になると設備の陳腐化・老朽化で年々数を減らしていた。
これら旧来の店舗は、その大半が2010年を待たずして消えた。そしてトドメとばかりに2011年東日本大震災。
なお、東日本大震災に伴う電力危機の際、「パチンコ屋は普通に営業している!」という批判も相次いだが、実際には判断はおしなべたものではなかった。
まず、東京電力・東北電力への貢献が限られた電力量でしかできない60Hz地区では節電はあまり意味がなく、地域住民を安心させる意味でも、パチンコ店以外も含めて極力平常営業することが求められた。
北海道を除く50Hz地区では、平常営業するべきと判断した店舗と、看板灯具・照明・空調などを減力運転にして節電体勢で営業した店舗、最初から営業を断念した店舗と、判断は分かれた。
そして、宮城県・仙台商業圏を地場とする、実際に被災した店舗、この中には、景品用の飲食物を無料放出して地域住民を飢えから救った店舗もあった。
また、東京電力管内で1度だけ実施された輪番停電の際、当然該当地域のパチンコ店もシャットダウンせざるを得なかった。当然である。パチンコ店のみに送電されている、なんて事実はもちろんなかった。
旧来型店舗は生き残りももう息を次ぐので精一杯になってきた2000年代(ゼロ年代)、代わりに台頭してきたのは、他業種の店舗と同じ様に、1976年1号店開店のジョイフル本田を嚆矢とする形態の多店舗チェーン展開の店舗だった。
この形態になると、もう誰が経営者だろうがバックをぎっちり日本の銀行に抑えられてしまっているため、不正送金即法的措置という話になる。それにこの頃になると南ならまだしも北朝鮮が資金面で日本で資本主義のぬるま湯にずっぷり使っている裏切り者どもを支援することなど、北朝鮮の経済力という面でも、アメリカによる国際送金網の監視などのルート遮断の面でも不可能になっていた。
- 「南が怪しいんだけど……」という人もおられるかも知れないが、この「旧来のパチンコ店の事実上の壊滅、チェーン店舗の出現と隆盛」の時期は、李明博・朴槿恵と韓国が保守政権だった時期にあたり、日本にとってはともかく「北の黒電話がソウルを攻撃してきたら報復として長射程空対地ミサイルを平壌や寧辺にブチ込む」とか考えていた勢力だから、そんなことをするはずがなかった。
国の規制強化もあって、ギャンブルとしての面よりもエンターテイメントとしての側面が強くなっていき、「賭け事」よりも「打って楽しむ」面が強くなっていった。オタク文化の一般への浸透により、その傾向は更に強まった。貸し賃が低い分長く楽しめる、所謂「4パチ」「1パチ」「5スロ」が出現し始めたのもこの頃である。
そして旧来型店舗へのダメ押しの一撃となったのが若年層の喫煙率の低下だ。昔のパチンコ屋と言えばタバコの煙モクモクでヤニと安っぽいコーヒーの臭いが立ち込める、というものだったが、もうそんなものでは営業が成り立たなくなっていた。広域チェーン展開の新世代型店舗は、さりとて全面禁煙とすると旧来の(高い玉で打ってくれる高年齢層の)客がいなくなってしまうため、苦肉の策として“分流化”をした。これはどういうものかと言うと、パチンコ台の台枠ひとつひとつに集中式空気清浄機の吸込口を取り付け、台の間に小さめのパーティションを突き出すことで、台ごとが空気の流れ的に区切られるようにしたのである。皮肉な話だが、COVID-19パンデミックの際、当初危ないと言われていたパチンコ店でクラスターが発生していない理由でもある。
結局の所、パチンコ店も時流には逆らえず、他業種同様チェーン展開の郊外型大規模ロードサイド店が台頭、所謂駅チカ店は首都圏通勤30分圏・大阪環状線沿線範囲内ぐらいでしか存在しなくなり、それももちろん多店舗チェーン展開。ポイントカード制による貸玉の持ち越し、そして何より清潔で見栄えのいい店内。それになにより客を敵に回さないこと。そう言う店舗だけが生き残ったのだ。
また、半ば都市伝説であるが「遠隔」も度々語られる。特に遠隔で語られるのは「ホルコン(ホールコンピュータ・その日の台ごとの当たり回数やスランプグラフ等を記録管理する)経由でパチンコ(パチスロ台)を強制的にハズレにさせる」というものであるが、実際に遠隔を裏で仕込んでいた店が摘発されるケースも以前は確かにあった。
…が、しかしこの「遠隔」はむしろ当たりを強制的に起こす機能であるのが正確らしく、いわゆる打ち子(サクラ)との組み合わせで売り上げを操作する形で店長クラスが売り上げからの横領をするのが主な目的だという。
現在のパチンコ・パチスロの不正監視システムはそういったものへのメーカーによる対策でもあるらしい。