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フェルナンド・アロンソの編集履歴

2024-10-30 07:43:06 バージョン

フェルナンド・アロンソ

ふぇるなんどあろんそ

スペイン出身のF1ドライバー。

概要

1981年7月29日生まれ、スペイン北部のアストゥリアス州出身。


父親がアロンソの姉用にレーシングカートを購入したが姉が興味を示さなかったので当時3歳のアロンソのものになったことでアロンソのレーサー人生が始まった。2000年には国際F3000(現在のFIA-F2)で年間4位になると2001年よりミナルディでF1デビュー。


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2002年にルノーF1チームのテストドライバーを経て2003年よりレギュラードライバーとなる。すると第2戦のマレーシアグランプリで3位初表彰台、第13戦ハンガリーグランプリポールポジションを獲得するとそのまま優勝するという活躍を見せ、一躍将来の年間王者候補と目されるようになる。そして2005年に年間7勝を挙げ当時絶対王者と言わしめていたミハエル・シューマッハを抑え当時の最年少年間王者(24歳58日、現在はセバスチャン・ベッテルが記録)となる。


翌2006年もモナコグランプリで優勝するなど年間7勝を挙げ2年連続年間王者となると翌2007年はマクラーレン・メルセデスに移籍。しかしマシン相性が宜しくなく、さらにチームがルイス・ハミルトンを贔屓していると批判したことから関係が悪化。それでも年間4勝&14戦連続ポイント獲得という走りを見せるもキミ・ライコネンと1ポイント差の年間3位で終わる。


翌2008年はルノーF1に復帰するも弱体化したマシンで優勝すら困難となり、シーズン初優勝が第15戦のシンガポールグランプリでと遅れ、最終的には年間2勝の5位に終わる。翌年はさらに弱体化したうえ、昨年のシンガポールグランプリが実はチームによる工作(所謂「クラッシュゲート」事件)だったことが判明。それまで信頼を寄せていたフラビオ・ブリアトーレが追放されたこともありこの年限りでチームを去る。


2010年はフェラーリF1から参戦。この年と2012年、2013年と年間2位になるも次第にスタッフとの関係が悪化し、2015年は2007年以来となるマクラーレンへの移籍を発表する。しかしこの年からパワーユニット(ハイブリッドカー化したF1の駆動装置の相称、以降PU)サプライヤーとなったホンダとの相性は最悪で、アロンソもPUの開発に失敗したホンダを痛烈批判。第15戦の日本グランプリでは下位チームのトロ・ロッソにオーバーテイクされると無線で「GP2(現在のFIA-F2)エンジン!GP2!AHHHHHHHH!」と叫ぶ一幕さえあった。


2017年はモナコグランプリを欠場し、インディ500へ参戦するもリタイヤ。F1でも(インディ500でホンダエンジンのマシンを運転していたのにもかかわらず)終始ホンダを批判。この年限りでホンダがマクラーレンから離れ、2018年からルノーPUになったが成績は上がらず、この年限りでF1から一時撤退する。


Continuous dream

2019年はマクラーレンに籍を置きつつTOYOTA_GAZOO_RacingよりWECに参戦。この年のル・マン24時間で優勝。世界三大レースで残すはインディ500のみとなった2020年に2度目の参戦が決定したが、21位でシーズンを終える。ちなみに2019年はダカールラリーにも参加している。


2021年にアルピーヌ(元ルノーF1)でF1復帰。2022年キミ・ライコネンの引退により最年長ドライバーとなり、2023年からはアストンマーチンに移籍し参戦している。2024年の第20戦メキシコGPでF1史上初めて400戦目の出場という大記録を達成した(決勝レースではマシントラブルでリタイア)。



人物

一言でいえば気分屋で、思ったことをなんでも口にしてしまう。そのため監督やスタッフとのトラブルになることが多く、チーム移籍を頻繁に行っているのもそのためである(契約満了の前に自ら破棄して移籍してしまうのもそれ)。一方でF1だけでなくWEC、インディカー、さらにはラリーカーまであらゆる車種を運転しており、マシンの適正能力は高い。特にフェラーリ時代に見せた活躍で、F1OB達から「現役最強」、「彼は異次元」と評されたこともあり、特に「現役最強」は、アロンソを語るうえでは欠かせない称号のひとつとなっている。


ホンダ批判の件もあり日本嫌いと言われることがあるが、実は根っからの日本好きである。日本グランプリの開催週には一目散に来日し、他のドライバーは六本木に行くがアロンソは1人で秋葉原へ行きねんどろいどを買っている姿を目撃されており、山手線地下鉄に乗っている姿も投稿されている。


一方でホンダ関係から出禁を喰らっているとされ、2020年のインディ500ではホンダエンジンを搭載したチームからお断りされてしまい、参戦が危ぶまれてしまった(シボレーエンジンのチームからどうにか参戦)。ホンダがレッドブルで復調すると「GP2エンジンが勝ったぞ」と揶揄されているようで、これに対してアロンソは「今のホンダPUは速いよ、でも当時は酷かったんだ」と釈明している(実際マクラーレン時代のホンダPUは信頼性に欠けており、PU部門がHondaJetの開発部門へ助けを求めてPUを見せたところ「よくこれで動くね・・・」と言われてしまったほどである。)。2023年より所属しているアストンマーチンは2026年よりホンダPUが導入されるが、導入後の契約延長が発表されたことでホンダとの関係は改善されたと思われる。



関連項目

F1 ルノー アルピーヌ フェラーリ マクラーレン アストンマーチン

WEC TOYOTA_GAZOO_Racing

インディ500 本田技研工業

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