和泉ひばりはpixiv女子プロ野球の選手(内野手)。横浜アクアマリンズに所属する。
概要
誕生日 | 1966.5.29 |
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出身 | 神奈川県藤沢市辻堂 |
身長 | 216cm |
体重 | 104kg |
血液型 | B型 |
利腕 | 両投左打 |
守備 | 一塁手、左翼手、右翼手(助監督兼任) |
経歴
打撃の女神様、静かなる戦乙女などの異名を持つチーム最年長選手(2月19日現在)でこれまでは欧州、南米、アフリカなどの野球過疎地域のリーグで野球を広めるためにプレーをしてきた選手で欧州、南米、アフリカの女子野球人でその名を知らぬ物は居ないと言われている伝説的女子野球選手。
通算成績 実働27年 .3664 4986安打 854本塁打 2282打点 1041盗塁 2517四球 282死球 317三振
選手としての特徴
バッティング
打順は基本的に3番か4番を務めており、球界を代表するクリーンナップとして知られている。若い頃は1番での起用が多く走り打ちが目立ったが最近ではあまり見られない。
野球協約ギリギリの特注バット(俗に言う物干し竿バット)を天性の柔軟性を持つ身体で全身を使って鋭く、しなやかなスイングで広角に長短打を量産する。
バッティングスタイルは、ヒットコースを広くとり、狙い球を絞らずに来た球を自分のタイミングとスイングでジャストミートして野手の居ない所へ運ぶという。コースや球種、投手の左右は関係なく「私のバッティングは、投手の投げるテンポで打たされるのではなく、自分のタイミングで球を見て、自分のスイングで打つという事が重要なので投手の左右や球種、コースはそれほど重要な事では無い」と自分の打撃理論を評している。
左打者だが、かつてキャッチャーからピッチャーへの返球が頭部に直撃するアクシデントからスイッチヒッター用の両方に耳あてが付いてるヘルメットを着用しており、これは守備の際にも着用している。
ヒットコース
ヒット(ホームラン)に出来る事が可能なコースの事で、人並外れた身体の柔軟性、関節の稼動域の広さ、バネの強さを持っており、世界でも類を見ない広さを誇っている。本人の感覚では「高めがストライクゾーンよりボール5個まで、低めが4個、外角が6個で内角が3個」と語っており、時に顔の高さのボールやワンバウンドのボール、更には敬遠球でもフェンスオーバーする事もある。
走塁
かつては俊足だったが年齢と共に徐々に衰えてきているが、投手や捕手のモーションや癖を盗み、現在でも25盗塁前後をコンスタントにマークしており、尚且つここ3年は盗塁失敗が0である。
積極果敢な走塁を見せる事が多が、ヘッドスライディングが苦手で一切せず、その代わりに、トリックプレーが得意でアウトになりそうなタイミングのクロスプレーで一瞬静止し、野手のタッチのタイミングをずらしたり、ホームクロスプレイの際にブロックするキャッチャーを飛び越えてホームインするなどのプレーを見せる。
守備
若い頃は前記の俊足に加え、強肩、攻守を誇り、世界中の球団を渡り歩き、その時々のチーム事情に合わせてセンター、ショートを中心に全ポジションをこなしていたが最近ではファースト、レフト、ライトが主になっている。
打者の打球傾向や配球は勿論、カウントや風、ゲーム展開などによって一球ごとにポジショニングを変え、普通なら抜けるたりファインプレーになるような当たりを、普通のプレーにしてしまう。
指導者として
加減や容赦というもの自体が無く、フリー打撃の際に投手が泣くまで打ち込んだり、野手がボロボロになるまでノックを打ったり等々、しかし選手、首脳陣からの信頼は厚い。
人物
「ひばり」と言う名前は、誕生日が「昭和の歌姫」、美空ひばりと同じ事に由来する。
クールで無口な情熱家で抱きつきキス魔(レズではない)。誰よりも早く球場入りし、誰よりも遅くまで球場に残っている選手で妥協を許さず、練習量は群を抜いており、トレーナーは「身体はまだ10代後半から20代前半のそれそのもの」と語っている。
元は夫と娘が居たのだが湾岸戦争の際に亡くなっており、現在でもバレンタインデーには2人が亡くなった地へ赴きチョコレートを供え手を合わせたり、2人の誕生日の際の墓参りはどんなに忙しくとも欠かさずに行っている。この体験から、若い選手達には悔いを残さないでプレーしてほしいと心から願っている。
野球をするキッカケとなった谷澤健一(70年代~80年代の中日の主軸打者)を現在でも尊敬しており、普段はあまり喋らないのだが谷澤の事となると人が変わったかのように饒舌になる。
実家(大きな民宿)の自分の部屋やキャンプ地宿舎の自室では基本的に全裸ですごしており、人が訪ねてきても(基本的には女性しか訪ねてこないため)一切隠そうとしない。一応、公の場や男性が近くに居たり訪ねてきた際には服を着るのだが、上はタンクトップやチューブトップ、下はホットパンツなどの袖や裾の無い衣服しか持っていない、また、下着に至っては上下共に一枚も所持しておらず、例外はユニフォームとその際に巻くさらしのみ(バストサイズが128cmのHカップあるためさらしを巻かないと内角の球を腕を畳んで打つ事が出来ないため)である。ただ、露出狂というわけではない。
アルコールに対してはかなり強く、スピリタス(アルコール度数95~96度の世界最高純度の蒸留酒)をストレートで大ジョッキに並々と注いで何杯一気飲みしてもほんの少しテンションが上がるだけで身体にも全く影響が無い。ただし、しばらくの間視界に入った人にディープキスをする。(しつこいがレズではない。)
辻堂の実家
湘南にある彼女の実家で海岸付近にある「いずみ」という名前の大きな民宿。旅客の為の5階建ての宿泊施設、家族以外の住み込み従業員の寮、家族が暮らす3階建ての広い日本家屋という構成、現在は彼女の両親、兄夫婦、妹夫婦、通いと住み込みの従業員で経営しており、彼女もたまに手伝いをしたりする。元々は家族のみの経営だったが、最近では路上生活者やネットカフェ難民などの雇用も行っている。現在彼女はこの実家から横浜スタジアムや神宮球場へ通っており、時たま選手達を呼び寄せる。現在は、一階はアクアマリンズ番、和泉ひばり番の各局の報道関係者達(全員女性)がオープン戦開幕からシーズン終了まで宿泊しており、海水浴の時期になると、出入り口に一番近い2部屋を神奈川県警が海水浴シーズン終了まで賃り切って、臨時の駐在所として使用する。
若い頃の和泉ひばり
若い頃の彼女は巧打に加え、強打、50m5秒台の俊足、遠投130mの強肩など、全てにおいて高い水準を誇る選手で、その総合力はウィリー・メイズやケン・グリフィー・ジュニア、バリー・ボンズらと比べられた。
その頃の逸話や伝説
打撃
飛距離に関しては様々な話があり160m弾から記録に残ってる最長記録は191mであり非公式記録や練習などでは200m超えの超特大弾を放ったと言う証言も残っている。また、完全にタイミングを外されてフォームを崩された流し打ちで177m弾を放ったという記録も残っている。
飛距離以外にも弾丸ライナーに関する話も数多くあり、金網製のフェンスを貫通する弾丸ライナーを放ったり、他にも電光掲示板、スコアボードなどを貫通したという話も残っており、内野手や外野手がジャンピングキャッチを試みるほどの低い弾道の打球がそのまま伸びてスタンドへ入ったという話も数多く残っており。また、打球が直撃したポールが折れたという逸話も残っている。
走塁
セーフティバントで二塁まで陥れたり、一塁走者の際に送りバントで一気に三塁へ進んだり時には本塁を陥れたという記録も残っている。
ライト前ツーベースヒットという記録が数多く残っており、時にはセンター前やレフト前でという記録も残っている。
投手のモーションや癖を完全に盗んだ盗塁を行うため、キャッチャーが送球できずに守備側の無関心が記録される事も多く実際は1200盗塁以上決めていると言われている。
守備
内野守備の際には内野の深い所、というよりもむしろ外野の浅い所の打球を処理して膝立ちのままノーバウンドで送球したりしていた。
他にも、ダイビングしながらイレギュラーバウンドを素手で処理したりと「まるでオジー・スミスのような」と称された。
外野守備では、快速を飛ばし普通なら外野の間を抜けたり頭を超える当たりでも普通の外野フライとして処理し、センターの最深部からノーバウンドで俊足のランナーを刺したり、高さ3.5mのフェンスによじ登ってそこからジャンピングキャッチでホームランボールをもぎ取ったりなど「彼女のほうに打球が飛んだらヒットは望めない、下手したらホームランもアウトになるし進塁なんてもってのほかだ」と言われた。
強肩を活かしてキャッチャーを守ったり、投手が足りなくなり登板する事も少なくなかった。キャッチャーとしての評価も高く、ピッチャーとしてはオーバースローから左は155km、右でも153kmの速球をある程度コーナーに投げ分け、カーブ、スライダー、チェンジアップ、シンカー、スクリュー、ツーシームと多彩な変化球を操っていた。現在でも延長戦などで投手が足りなくなった時を見越して投球練習を行ったり、打撃投手を買って出たりもする。ただ、本人は投手について、あまり乗り気ではない。
選手シート
改訂版