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おばあちゃんライジング

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おばあちゃんらいじんぐ

『僕のヒーローアカデミア』最終章におけるエピソードから生まれた言葉で、そのエピソード自体を差す事も多い。

僕のヒーローアカデミア429話のネタバレを含みます!!未読の方はブラウザバックを推奨します!!

戦後の超人社会

凄絶なトラウマを持ち、あるヴィランが引き起こした惨禍によって結果的に「自由」となった少年

しかしその視線の先にいた「僕が苦しんでるのに、笑っている人たち」へと衝動的な悪意を向け個性を発動させようとした、その時。

「ボク!」

異形化しかけた腕を、見知らぬ老婆が震える手で掴んでいた。

かつて手を差しのべられなかった、誰かが助けるだろうと躊躇ってしまった、その後悔から。

何かせずにはいられない、その気持ちで。

「もう大丈夫だからね、"おばあちゃんが来た"からね」

その言葉に少年は涙を溢し、凶行は未然に防がれたのだった。

また、最終話において、「口に傷のある少年」が出水洸汰の後ろで「雄英の制服を着て」チラッと映っている。

彼らが同一人物かは定かではないが、少なくとも2人目の死柄木弔は生まれずに済んだようだ。

おばあちゃんオリジン-かつての後悔

彼女は幼少時代の弔と一度だけ出会っており、ボロボロの格好で小さな子供が歩いている事に異常を感じて手をさしのべようとしたのだが、弔のドス黒い絶望を纏う雰囲気に気圧されてしまい、「ヒーローが助けてくれるから」と言い残して立ち去ってしまった。

その事は心の傷として残り、何年も過ぎた現在でさえ「あの子は助けてもらえたのか」と眠れなくなる程のトラウマとなっていた。

それを振り切り、たとえお節介と言われても手を伸ばしたいと願い、もしかしたら第二の死柄木弔となっていたかもしれない少年の心を救ったシーンは多くの読者に支持された。

そして本編にてその回の主役にして、成長と飛躍回を意味するヒロアカのサブタイトルとして使われていた「○○ライジング」に準え、「おばあちゃんライジング」と呼ばれるようになったのである。

余談

この老婆、実は同じエピローグ編の第427話にも登場している。

冒頭の死柄木弔に関するインタビューシーンで他の一般人に紛れてこの老婆もインタビューを受けている。

インタビューに対して老婆は「止められなかったのかなって…ねえ……思いますねえ」と答えており、真意を読めなかった読者からは「どの口が言ってるのか」「他人事すぎる」と老婆(および他にインタビューを受けている人と合わせて作中の一般人全体を)非難する声が多数あげられた。

しかし実際には上述の通り老婆は時折眠れなくなるほどに死柄木弔を見捨ててしまったことをずっと後悔しており、「止められなかったのかな」というセリフも「(ヒーロー達は、或いは誰かが)止められなかったのかな」ではなく「(あの時の私は)止められなかったのかな」という1人の当事者として今回の件を受け止めていたとも考えられる。(そもそも故意ではないとは言え実家もろとも家族を消滅させてしまい絶望の淵にいた転弧少年を無闇に刺激せず距離を置いた事で2次被害を防いだ、とも言える。それにAFO的に言えば転孤を手駒にする総仕上げであった以上、仮に老婆が手を差し伸べてしまった場合消されていた可能性が高い。結果論ではあるが、どのみち彼を救うことは厳しかっただろう)

この時の印象の悪さからの逆転もあり、SNSなどではおばあちゃんでなくババア(・)ライジングと呼ばれることも多い。

また本誌掲載時は巻頭カラー映画「ユアネクスト」の公開直前で関連する特別読み切りもその後に掲載されており、オールマイトを都合の良いように曲解して暴れるダークマイトに関連づけて、語呂よくダークババア・ライジングとまで言われることも。

ホークスが目指す「ヒーローが暇を持て余す社会」は「多くの人が他人に手を差し伸べられる社会」を指しており、実際にこの少年に手を差し伸べた老婆の勇気ある行動はその理想的な姿である。

さらには本作序盤に「ヒーローが来てくれるから」と何もせずヘドロヴィランに乗っ取られてかけた少年を見殺しにするところだった野次馬の中から、彼を助けようと無謀にも突撃したその友人と同じ「誰かに手を差し伸べる優しさ」を、彼の頑張りを見たことで、しかも新しい世代ではなくかつて手を差し伸べられなかった老人が、結果的にとはいえ死柄木の破壊行為のおかげで自由になった子供に対して発揮することができたという、彼らの行動によって遠い未来ではなく現在が変わっていくという描写になっていると言える。

単行本でも作者はこの話が実質的な最終話(430話はカーテンコール)のつもりだと述べており、サブタイトルも「私が来た!」とオールマイトおよび作品を象徴するフレーズとなっている。本人を始め「僕が来た」「おばあちゃんが来た」などとアレンジされて作品を通して使用されてきたこのフレーズが、あえて原型で使用されて(お茶子と)この老婆にかかっているという印象的な使われ方であり、僕のヒーローアカデミア中で語られ問題とされてきた個性/ヒーロー社会のあり方について、作品としての答えを出すシーンと言えよう。

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