概要
- 大阪市にある神社露天神社の通称。
- 平安時代はこの辺りは海で(露天神社は小さな島の中にあった)、小さな島が密集して船が通りにくい水路で、それぞれの島(福島・中之島など)に海を守るお社があった。露天神社も水難事故から人々を守る社だった
曽根崎心中
露天神社で実際にあった心中事件を題材に近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書いた。御利益
曽根崎お初天神通り商店街
鳥長の店主の父・岡本寅松が昭和28年に商店街を作ろうと発起人に(それより以前は闇市→境内の中に飲食街が並ぶお初天神食道街)。
通りの名前
曽根崎すずらん通り(東京など全国で『すずらん通り』が流行っていたから)→曽根崎センター街(全国で…)→曽根崎お初天神通り商店街(当時『男女七人夏物語』が流行っていて、男女の恋に関する名前にすれば若者が来てくれるんじゃないかと思い、曽根崎心中にあやかって、恋人の聖地を全面的にアピールした)
古くからあるお店
- 瓢亭:昭和28年(1958年創業)名物『夕霧そば』
- ニューミュンヘン:昭和33年(1958年)ドイツ風ビアホールとしてオープン(現在お初天神だけで3店舗)看板メニューの骨付き唐揚げは昔はメニューに無く、元々『若鶏のモモ焼き』が人気で売れまくっていたせいで、それ以外の部位を買い取って貰わないと困ると鶏肉屋が悲鳴をあげたから全部買い取って唐揚げを始めたら、モモ焼きよりもビールに合うとヒットした。(唐揚げを宣伝するために吉本芸人の楽屋に無料で差し入れして、味を広めてもらった)
- 常夜燈:お初天神食道街時代からある。関東煮(おでん)が有名で森繫久彌さんも常連だった。あまりの美味しさに『これはそこらの関東煮(かんとだき)とは違う。唯一の関西煮(かんさいだき)や』と名を付けた。
先代は植木屋で、戦争で被災し跡形も無くなったお初天神で、黒く焼け焦げた賽銭箱を見て寂しいなぁと思いながら歩いていたら、宮司に呼び止められ『神社が焼けて賽銭があがらへんから、わし食べて行かれへんから闇市を開いてくれへんか?』と頼まれたのが、闇市→お初天神食道街のきっかけ。先代は色んな人に声をかけたが『毎日五円だけ賽銭あげてくれ』とお賽銭を供えるのが食道街のルールだった。先代は最初は奥さんに巻き寿司を作らせ自分が売りに行った(一本8円で800円分売れた)。昭和21年(1946年)に関東煮を始めた。
お初天神裏参道
お初天神裏参道:若者が集まるグルメ街