アジアロシア
あじあろしあ
一般的にロシアがヨーロッパの国だと思われるのは、人口の部分がヨーロッパ側に集中しているからであり、面積で言えばアジア側の方が広い。
一般的にはウラル山脈より東側の地域を指す。ざっくりといえばシベリアと呼ばれる地域と思えばよい。
ウラル山脈からバイカル湖の間は中央ロシアで、バイカル湖以東は極東ロシアになる。主要都市はウラジオストク・オムスク・ノヴォシビルスク・イルクーツクなどがある。ツングース系・モンゴル系の少数民族も多い。
国境を接する主要な国はカザフスタン・モンゴル・中国。ソ連時代の影響で国境を跨いでロシア人が暮らすカザフスタンや、国境を挟んで近い言語の少数民族がいるモンゴルなど、国境は意外と安定している。
その厳しい気候や、ユーラシア大陸の主要な文明地域からは離れていたためか、この地方はあまり国や都市などができなかった(沿海州・アムール川流域など中国東北部に接する最南部のみは例外で、渤海国や遼などがあった)。現在のロシア南国境がモンゴル系・テュルク系を始めとする遊牧民の行動範囲の最北端に近いと考えて良い。
転機が訪れるのは16世紀以降、ロシアが後のアジアロシアとヨーロッパロシアの境に栄えていたカザン・ハン国を占領し、東への進出を始めた時である。東へと進んだ彼らは、後の中国東北部と沿海州を故地とし、「モンゴル人のハーン」でもあった清王朝と直接接触することになり、小競り合いを繰り返した。最終的に17世紀、1689年のネルチンスク条約で国境が画定し、その後は清王朝の衰退期まで安定する。
ロシアにとっては一種の「植民地」であったこの地域に、ロシアは政治犯などを送り込み、中国交易をねらう人々やコサックも入植をし始める。さらに19世紀末にはシベリア鉄道を開通させ、清王朝の衰退に乗じて沿海州に念願の不凍港であるウラジオストク港を建設。さらに中国東北部の鉄道利権(後の南満州鉄道=満鉄など)を握り、開発を一気に進めた。
ソ連成立後は五か年計画を契機に工業化が進み、石炭や鉄鉱石などの資源を背景にノヴォシビルスクの工業地帯などが発達した。またいくつかの少数民族については自治共和国が設定された。
現代のアジアロシアは北極海沿岸などの石油など、資源で知られている一方、ヨーロッパロシアに比べ一人当たりの所得は低めである。そのため、ウラジオストクへのテコ入れなどの経済振興策が目論まれている。また、中国とはアムール川での国境問題を抱えていたが、こちらは領土分割で決着をみて、とりあえずは安定している状況である。
アジア側はあれだけの広大な土地がありながら人口は少ない一方で、石油・天然ガスの資源が豊富な点が挙げられる。その為中国が尖閣諸島以上にこの地を欲しがっているのは、中国は石油・天然ガスのエネルギー資源の埋蔵量が少ない事が挙げられる。因みにアメリカは生産量は多いが、埋蔵量は少ないのでシェールガスを作った。
中国は資源こそあるが、多くはレアメタルなど非エネルギー資源なので石油・天然ガスは不足しているので、尖閣諸島・極東ロシアを欲しがっている理由は言うまでも無く、石油・天然ガスが欲しいからである。
また、1858年のアイグン条約の締結後にロシア領となった地域や、共同管轄の後にロシアの一部となったとなった沿海州は、1689年のネルチンスク条約の時点では清国領であったため、中国側の視点に立てば「元々は自国領」という認識が当然に成り立つ。
なので極東ロシア(バイカル湖以東の地域。ウラジオストクやカムチャッカ半島など)に中国人を住まわせると、賃金や人口の問題などから簡単に中国領にされる恐れが高いので、ロシアは中国人労働者を入れさせず、代わりに北朝鮮の労働者で賄っている。