曖昧さ回避
- トマ=アレクサンドル・デュマ…大デュマの父。本項で解説。
- アレクサンドル・デュマ・ペール…大デュマ。代表作多数。1の息子。本項で解説。
- アレクサンドル・デュマ・フィス…小デュマ。代表作に『椿姫』。2の息子。1の孫。本項で解説。
トマ=アレクサンドル・デュマ
1762年3月25日生、1806年2月26日没。
大デュマの父。フランス陸軍の軍人であり、この名前で呼ばれたの彼が初めである。
侯爵の父がいるが、母は黒人の奴隷で「農家のマリー(Marie du mas)」と呼ばれていたため、ある出来事を境に父に反発し、母の名の「農家の」にあたる「du mas」をつなげた「Dumas(デュマ)」を姓として使うようになったことがきっかけ。
黒人系ながら中将にまで出世し、「黒い将軍」と呼ばれた。
フランス革命直前〜ナポレオン時代(エジプト遠征の頃まで)のフランスを描いた映像作品でアフリカ系に見える外見のフランス軍将校が登場したなら、かなりの確率で彼だと思って間違いない。
リドリー・スコット監督版の映画「ナポレオン」にチョイ役で登場したアフリカ系の将校も彼と云う設定。(途中までしか出てない理由は下記を参照。ただし、本作は「実在したナポレオンの側近の大半が『画面には映ってるがマトモな台詞さえない』という扱い」なので、彼だけが扱いがアレな訳ではなく作品内容そのものがアレなだけである)
エジプト遠征中にナポレオンと仲が悪くなり、ナポレオンは彼を軍から追い出す為に権力を握るまでは反人種差別主義者だったのに黒人がフランスの軍人となる事を禁止した。
関連タグ
大デュマ
1802年7月24日生、1870年12月5日没。
息子である小デュマと区別するために大デュマ、または「父」を意味する「ペール」を付けることもある。
ナポレオン時代のフランスに生まれ、父・将軍トマ=アレクサンドル・デュマの長男として生まれるが、将軍とナポレオンの関係は良い物ではなく年金が払われないなど困窮した少年時代を送る。
劇作家として大成した後、当時勃興しつつあった新聞の連載小説に目を付け数多くの歴史小説を発表、莫大な資産を築き日々有名女優相手に浮名を流す派手な生活を送る。
しかし、2月革命の影響により浪費生活がたたり破産、再び小説を書くが、晩年は殆どの資産を使い果たしていたという。
激動の時代を筆一つで渡り歩き、その才覚と裏腹に俗物そのものな生き様はどこか人間らしさに溢れており、彼自身にもファンは多く、生誕200周年には霊廟で祀られた。
語録
- 「確かに盗作した。だが私の書いたものの方が面白い」
- 「盗む盗むと人はいうが、アレクサンドル大帝がギリシャを盗んだとか、イタリアを盗んだとか誰も言わないじゃないか。私が他人から取ってくるのは、盗むのじゃない。征服し、併合したんだ」
関連タグ
キャスター(Fate/strangeFake):彼をモチーフにしたキャラクター。
外部リンク
グレーテルのかまど/アレクサンドル・デュマのアプリコットフラン
小デュマ
1824年7月27日生、1895年11月27日没。
父である大デュマと区別するために小デュマ、または「息子」を意味する「フィス」を付けて『デュマ・フィス』と呼ばれることが多い。
大デュマと縫製工の母マリー・カテリーヌ・バベの私生児として生まれた。
1831年に認知されて最高の教育を受けたが、若い頃は父親の金で遊び呆けた。
しかしその後、1844年に大金持ちのパトロンを持つ高級娼婦のマリー・デュプレシと出会い、恋に落ちた。あえなくマリーは病死するが、その思い出をつづったものを、小説『椿姫』として書き上げて出版し、これが彼の代表作となった。
また、子供と引き離された母の苦悩や、青春期に受けた周囲からの偏見は、彼のその後の作風に大きく影響している。「椿姫」があまりに有名なために忘れられがちだが、オペラでは「ラ・トラヴィアータ」、戯曲では「半社交界」「金銭の問題」「私生児」「放埓な父」、など多くの作品を書いており、劇作家としても有名。
関連タグ
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- プーシキン:大デュマと同一人物というトンデモ説がある。それによれば、プーシキンは決闘で死なずに生き延び、フランスに渡ったという、義経チンギス・ハーン説みたいな説。