概要
1833年11月12日、ロシア帝国サンクトペテルブルクに生まれる。
非嫡出子の生まれであるがピアノの稽古など優れた教育を受け、サンクトペテルブルク大学医学部を最優秀で卒業する。
陸軍病院に勤務し、24歳で医学会議に出席するためヨーロッパに長期出張する。そこでムソルグスキーと知り合い、シューマンの曲を紹介され興味を持つ。
作曲は1863年にミリイ・バラキレフと出会うまで正式に学んだことはなかった。1869年にバラキレフの指揮で『交響曲第1番変ホ長調』が初演され、同年には『交響曲第2番ロ短調』に着手する。
初演では失敗したものの1880年にフランツ・リストがヴァイマルでドイツ初演の手はずを整え、ボロディンの名を世界に広めた。
同じく1869年に手掛けたオペラ『イーゴリ公』はボロディンの代表作として知られるが、多忙を極めたボロディンは生前完成に至らず、没後ニコライ・リムスキー=コルサコフとアレクサンドル・グラズノフにより補筆と改訂が進められた。
1887年2月27日に急死。謝肉祭の最中に友人と共に上機嫌に踊っていたところ突然蒼ざめて倒れたという。死因は動脈瘤破裂とされる。
有機化学の研究家としても多大な功績を残し、「ボロディン反応」に名を残した。
代表曲
- オペラ「イーゴリ公」(だったん人の踊り)
- 交響曲第1番 変ホ長調
- 交響曲第2番 ロ短調
- 弦楽四重奏曲第1番 イ長調
- 弦楽四重奏曲第2番 ニ長調