要項
オットー・チリアクス。(1891年10月30日~1964年12月12日)
軍人。大将。
経歴
1891年10月30日、ノイディーテンドルフに誕生。
1910年、海軍兵学校に入校。
第一次世界大戦ではUB96艦長、戦後は偵察艦隊参謀、装甲艦アドミラル・シェーア艦長などを務め、1939年9月1日の第二次世界大戦開戦時は巡洋戦艦シャルンホルスト艦長の大佐であった。
11月、少将に昇進。
12月、西部方面海軍参謀長に就任。
1941年6月、中将となり、戦艦部隊司令長官に就任。
1942年2月11~13日、「ツェルベルス作戦」でシャルンホルストを旗艦として、巡洋戦艦グナイゼナウ、重巡洋艦プリンツ・オイゲンを率いて駆逐艦六隻、水雷艇十四隻、更にドイツ空軍の緊密な護衛の元、ブレストを発して白昼堂々と英仏海峡を突破しドイツ本国に帰港した。
この折に旗艦シャルンホルストは触雷し行動不能となった為に、旗艦を駆逐艦Z29に移したが、膅内爆発により損傷した為に更に将旗を駆逐艦ヘルマン・シェーマンに移して指揮を執った。
1942年2月23日、駆逐艦四隻の護衛の元、プリンツ・オイゲンを旗艦として、装甲艦アドミラル・シェーアを率いてノルウェーに進出中に英潜水艦トライデントの攻撃を受け、プリンツ・オイゲンは艦尾を損失。
3月6日、PQ‐12、QP-8船団攻撃の為に戦艦ティルピッツを旗艦として駆逐艦三隻を率いてトロンヘイムを出撃するも荒天の為に索敵に分派した駆逐艦は船団を発見出来ず、戦果は船団をはぐれた商船一隻のみであった。
9日、船団攻撃を諦め、駆逐艦フリードリヒ・インと合流して帰投中、英空母ヴィクトリアスからのアルバコア雷撃機の攻撃を受けるも損傷なし。
1942年6月、水雷部隊監察官に就任。
1943年2月、大将に昇進。
3月、ノルウェー方面海軍司令長官に就任。
1945年4月、ノルウェー方面海軍司令官を解任される。
1964年12月12日、死去。
逸話
無愛想で気難しい人物であり、あまり評判は芳しくなかったと言われる。
司令官でありながら、旗艦の操艦に口を挟むのは日常茶飯事だったと言われる。
ティルピッツがアルバコア雷撃機の襲撃を受けた時も操艦を指示し、色をなした艦長のカール・トップ大佐は、艦の指揮権は艦長にあるとチリアクスに述べ、操舵主には自分の命令を聞くように命じて雷撃を悉く避けたという話がある。
ツェルベルス作戦ではかって艦長を務めた愛着からか、今まで艦隊旗艦を務めていたグナイゼナウでなくシャルンホルストを旗艦としている。