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概要編集

ジェームズ・エイブラム・ガーフィールド(James Abram Garfield)とは、アメリカ合衆国の政治家、第21代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンに続いてアメリカ史上2人目の暗殺された大統領として知られる。


生涯編集

1831年、オハイオ州モアランド・ヒルズで父エイブラムと母イライザの間に5人兄弟の末子として生まれる。生まれてすぐに父が亡くなり貧困の中で育ったが、長じてから高等教育を受ける機会を得たことでウェスタン・リザーブ折衷学研究所(現ハイラム大学)の教授や学長を務めた後、1859年にオハイオ州の共和党所属州議会議員となった。


1861年から始まった南北戦争においては北軍に参加し、連隊長や旅団長を務めて戦功をあげた。最終的に少将まで昇りつめた。


軍を退役した後の1863年、連邦議会の下院議員に当選したことで中央政界に進出。そして1880年のアメリカ合衆国大統領選挙に勝利し、第20代大統領に就任した。

その翌年の1881年7月2日、ワシントンD.C.の駅で銃撃を受ける事件が発生。一命をとりとめ、ニュージャージー州で療養に専念していたが約2か月後の9月19日に死去。49歳没。


暗殺された、となっているが直接の死因については銃弾ではなく、治療を担当した医師の不適切な治療法にあるというのが有力である。


ガーフィールドの死去により、副大統領のチェスター・A・アーサーが大統領に昇格した。


関連タグ編集

アメリカ合衆国 大統領暗殺

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